スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

悲しい事件

新年が明けてあっという間にもう2月です。おそらく、2月も”時”が過ぎるのは早いのでしょうね。

多くの患者さんが苦しみ続ける病である脳脊髄液減少症から、かーこが何故完治したのだろうかと考えることがたまにあります。多くの幸運が重なったことは事実ですが、明確にこうしたから完治したのだという答えがだせないのが事実です。

もしかしたら、生まれる間に神様との約束をしていたのかもしれない・・とも思えるほど、導かれて完治に至りました。

かーこがいる部屋のドアをあけると、病床で涙を人知れず流していたのを見たことを思い出します。同じ日に生を受けて生まれてきたのに、どうして、かーこだけが・・という思いがこみ上げてきたことを思い出します。

かーこが辿った完治までの道は、かーこに合っていた道であり、それを他の誰かにも伝えようとしたことで傷つけてしまった友人もあり、いろんな葛藤の中、考えたり、正直、考えること自体に疲れてしまうこともありました。

時が過ぎるにつれ、変化という恩寵をいただけたこと、渦中にあっては、底なしの沼のように思えた時も、振り返れば多くの「知らなかった」ことを知り、当事者や家族ではなければ「考えることもなかったこと」を考えることができた時間だったように思います。

湯川遥菜さんと後藤健二さんがイスラム国に残虐な殺され方をしました。後藤健二さんに関しては、色々な報道がなされる中、人々が知らなければならないのに「知らない」こと、届けようとされなければ届かない「声なき声」を伝えていたことの功績について私も考えさせられました。後藤さんの笑顔の目線の先には、人の心を見る愛と優しさがある方のように思いました。

まずは「知る」こと。そして、そこから自分で考えること。これは、本当に大切なことだと思います。

なぜ医療や社会の保障から取り残される病があるのか・・、これも知ることからはじめないといけません。

お二人のご冥福を心からお祈りします。

海老蔵さんのブログ

本日、仕事が休みだったため友人と久々に
ランチをしました。

友人は、
「今日海老蔵さんのブログに脳脊髄液減少症の
ことが書かれていたから、びっくりしたよ」
と、私の姿を見るなり言っていました。

その友人には、以前署名をお願いしたことがありました。
たくさんの署名を集めてくれた上に、脳脊髄液減少症の
現状に心を痛めてくれた優しい友達です。また、かーこの
回復にも心から喜んでくれた友達です。

海老蔵さんは、いろんなことを毎日綴っているようで、
その内容がしっかりしていて、最近ずっと海老蔵さんの
ブログを友人は見ているとのことでした。

今日私に会う日に、タイムリーに脳脊髄液減少症の
ことが書かれていたから・・と友人にも驚きがあったようです。

友人との食事を終えて、帰路、電車の中で
私ははじめて海老蔵さんのブログをみてみました。

そこには、10年苦しんでいる患者さんのコメントが
紹介されていました。

海老蔵さんの撮った写真をみて

生きているから痛いんだ・・・

ありがとう
ありがとう
ありがとう

のコメントがありました。

海老蔵さんは、多くを語らず・・
でも、温かい写真と、
認められるといいですね・・・との
コメントで締めくくっていました。

海老蔵さんのブログ

なんだか、じーんとしました。

情報と報道

高視聴率をつづける「花子とアン」ですが、
私も初期から一度も欠かさずみています。
仕事を始めたので、朝見ることができないときは
録画したりして見ています。

見ている人はわかると思うのですが、主人公花子が
ラジオのおばさんをやる場面がでてきます。
当時戦局が悪化していくなか、
ラジオや新聞がある意図をもって国民を扇動して、
国民は「戦争」を客観的に捉えることができなく
なっていく様子が視聴者にも伝わってきます。

ある場面で、同僚のアナウンサーだった有馬氏が
声に感情をいれてはならない、報道とは聞き手が
中立の立場で提供されたものを聞いて自分で
考えるものだとおっしゃる場面が印象的でした。

最近、朝日新聞が叩かれています。
これは、間違いなく書き手のイディオロギーを
前面に出したうえに、自分のイディオロギーに
反するものならば、曲げて解釈した上で
紙面にだしたことによるものです。

報道というものを考えるとき、
本当に怖いなと思いました。
なぜなら、それを読んだ人が信じて
洗脳されてしまう恐れすらあるからです。

戦時中は、メディアが限られており
他の情報を検索することなどなかったのですが、
ネットの発達によって私たちは何が本当で
何が真実に反するのかを自分で感じ取って
判断することができるようになりました。

もちろん、不特定多数がチェック機能のない状態で投稿する
様々なサイトには誤りもあり、
それらは誤報による糾弾をマスメディアのように
されることはありません。
そのため、ネット情報により惑わされることもありますので、
新聞や報道といったものを信じることが多いのも事実です。

ただ、大きな媒体で報道されない事実や、
メディアや大きな権力によって隠される悲しい実態というものを、
知らないままで通り過ぎることは、いろんな意味で
今の時代にはネットを通じて
避けることができます。

そう考えると、ネットの様々な情報と
マスメディアを見比べたりするなか、
報道の信ぴょう性に疑いを持たなければならない、
少し混沌とした時代になっているようにも感じています。

脳脊髄液減少症という病の実態は、
メディアで報道されたことも何度かあります。
患者の生の声、完治した人の声、
治療に実際にあたっている先生の声、
そして治療にあたらずに外野から出てくる声、
利害関係をもった権力者の声、
どの声が本当で、どの声に疑問を呈しなければならないか・・
それを決めるのは、
自分の身におきたらと考えた上で、
私たち自身の判断にかかっているようにも感じます。



自動ブレーキ 格付け

今日の読売新聞朝刊で、自動ブレーキ格付け、
国交省導入へという記事が一面で紹介されていました。
自動ブレーキについてはコマーシャルでも以前から放送されており、
気にはなっていましたが、記事によると約10年前から実用化され、
近年では装置の低価格化で普及が進んでいるとのことでした。
ただ、その開発が進む一方でメーカや車種による特徴や性能に
違いがあり、今後の課題もあるようです。

車が日常生活になくてはならないものになり、
運転することが日常生活の一部となると、
ハンドルを握ることへの緊張感は
どんどんと薄らいでいくと思います。
実際私も、今は全く運転しませんが、
以前は毎日のように運転していましたし、
その時にいつも心が穏やかでリラックスしていたわけではなく、
急いでいる時もあれば、何かにイライラしている時も
ありました。
おそらく、平常心を欠いたり、注意力が散漫になったり、
緊張感が欠如したときに、自分が加害者になりうる
可能性はあったかもしれません。

車社会が引き起こした事故により
人生が180度変わった被害者の方に会ったり、
また加害者が被害者の苦しみのかけらも
理解しようとしていない現状を知ったりすると、
車って本当に怖いなと正直に思います。

今では誰かが運転する車に乗った時でさえ、
何度も私は後ろを振り返ったり、前方ミラーで
後方の車体を確認するようになりました。
十分に車間をあけてくれているのか・・とか、
気になってしまいます。
追突されるのが怖いなという気持ちが
どこかにあるのかもしれません。

自動ブレーキ安全装置がきちんと国によって
「格付け」されて、近い将来どの車にも設置が
義務付けられるようになると、
大幅に追突事故が減ることになると思います。
国交省のこうした動きは本当に嬉しいです。
前方だけでなく、後方でバックするとき
子供たちが被害に遭うこともあります。
自動装置がどんどんと性能をあげ、対車、対人に
100%自動的に作動することが可能となってほしいです。

運転する人も、車間距離をあけて対物、対人に
損害を負わすことが無いよう、
誰かの不注意運転によって
誰かが長い間苦しめられることが無いような社会に
近い将来変化していくといいなと思いました。

また、国交省の取り組みだけでなく、厚労省なども
早期に保険適用を決めてほしいなと思いました。

今年もありがとう

「すべての病気には崇高な意味があり、
すべての痛みが人類を最も深いところで支えている。」

前回のブログの続き。

「全ての痛みが人類を最も深いところで支えている」

無限という終わりなき環やつながりの中、
今『病』を引き受けてくださっている方は、
もしかしたらそれは私が引き受ける
かもしれなかったものをかわりに引き受けて
くださっているのかもしれない・・。

そう感じることがある。
苦しみを経験している方の中に崇高なものを垣間見るとき、
その思いは一層強くなる。

「老い」は長く生きれば避けられず
だれにでも訪れ、そして「死」に直面するまでだれもが
経験するものだ。

しかし、「病」は老若男女を問わない。
それは不運でも「業」でもない気がする。
全て一続きの環や繋がりの中、たまたま今回
それをだれかのかわりにある人が
引き受けてくださったのではないか。

それは、晴佐久神父がおっしゃるように、
人類を最も深いところで支えているのではないか。
神様との約束の中で。

そこにはマイナスとかプラスとかの様相は全くなく
ただただその経験を選択しているのではないか。
その選択を今生でしなかった人のかわりに。

そして、選択の有無に限らず人々全てを神が
物言わず包み込んでくれているように思える。

年の瀬をむかえ、バタバタとした日が続きます。

来る年が皆様にとって素晴らしき
年になりますように・・。

心と身体が穏やかでありますように。

今年一年間本当にありがとうございました。

プロフィール

あっこ&かーこ

Author:あっこ&かーこ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。