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病床にあってもあなたは役立っている

8月も半ばを過ぎましたね。子供たちも宿題の残りをしあげつつのんびりとできるこの時期を楽しんでいるようです。

それでは、あきちゃん先生のコメントからご紹介します!

さて本題です。いよいよ、あと2節を残すだけとなりました。
(以下、引用)


見舞いに来てくれた人や接してくれる人を、逆に力づけ、元気にして帰すことができるのです。そして、生きる意味や死について考える機会を与えているのだということです。

あなたが、もし、何かをしてもらうだけの立場になったとき、このことを忘れないでください。
まさに、 to do (何をするか)よりもto be(どうあるか)です。これが、いきていること、存在することの意義だと感じずにはいられません。


(以上)

病気、特に長期の療養を要する症状を持つと、言いようのない無力感?のようなものが襲ってくと事が多いと思います。

私も、4度の長期療養休暇で、「おみそ恐怖症」(笑)になったことは、
前述したとおりです。
この時に、樋野先生のお言葉を知っていれば…
病気の私ですら、だれかの励みになることもできるなんて…

考えてみれば、「老い」や「死」を他人に考えさせるほど、相手の「生」にとって役立つことはないですよね。
究極の「リフレーミング」ですよね。


ここまで。



実は、知人からコーチングをうけたことがあります。その方は、人はto be(どうあるか)よりも、to do (何をするか)だと私に告げました。行動が大切だということを教えてくれたんです。そして、その言葉は私に大きく影響を与えたことも事実です。


しかし、樋野先生の本を読んだとき、まったく逆のことが指摘されていたので、その真意を私なりに考えるきっかけになりました。

to be(どうあるか)ということは、人の心に深く関係があり、to do (何をするか)というのは、そこから派生するもののように感じ取りました。つまり、基本がto be(どうあるか)ではないかと思いました。


確かに、病や老は、行動範囲を狭めてしまいます。とくに行動派の人はto do (何をするか)ができなくなることで、存在意義を見失いかけることもあるかもしれません。しかし、実はそういう時こそ、基本である、to be(どうあるか)に立ち返り、しっかりと見つめる大切な時なのかもしれません。

コーチングでいうところの、to do(何をするか)は、社会的な成功にも繋がる視点であり、それを通して自分を成長させることはもちろんできると思います。そして、そういう行動により、思考が深まり、あるべき姿=to be(どうあるか)に深く影響を与え成長できることもあります。

しかしながら、たとえ行動が病などにより制限されたときに、そういう過酷な中でも、to  be(どうあるか)を深く見つめることをし、限られた行動範囲のなかでも、人としてあるべき姿を示すことができるならば、その姿そのものが行動のようなものであり、周りの人への影響も大きいと思うのです。

人は存在するだけて素晴らしいという樋野先生の視点にまったく同感です。そして、to be(どうあるか)ということに磨きをかけることが生きることの大きな意味のような気もしています。

残るところあと一つとなりました。

寂しくはありますが、あきちゃん先生には、お願いをしてtwinsのブログに長らくお付き合い頂きましたことに感謝申し上げます。
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 人生と向き合うチャンスは思いがけず与えられる

あっこ様
みなさま

約半年にわたってご紹介してきた
順天堂大学教授 樋野興夫先生の
「いい覚悟で生きる」(小学館 1400円+税)も、
いよいよ今回が最終回のご紹介になります。

長い間、まるで私とあっこ様の往復書簡のようになってしまい、
本ブログを独占してしまったことを、深くお詫びします。
乱筆、乱文の数々、どうぞお許しください。

>確かに、病や老は、行動範囲を狭めてしまいます。とくに行動派の人はto do (何をするか)ができなくなることで、存在意義を見失いかけることもあるかもしれません。しかし、実はそういう時こそ、基本である、to be(どうあるか)に立ち返り、しっかりと見つめる大切な時なのかもしれません。

私自身を考えてみても、4回の長期療養と、予後の通院によって、たしかにto doは狭まりました。
しかし、to beは、病気以前とは比べ物にならないくらい広がったのではないかと感じています。

脳脊髄液減少症について知識を得て、高橋先生や関係者の方とお知り合いになれたのも、このブログに書き込ませていただいているのも、樋野先生のご著書に出会えたのも…、すべて、私が悪性腫瘍に罹ったればこそです。

さて、本文です。(以下、引用。)

誰にでも。自分の人生と向き合うチャンスは思いがけず与えられます。それががんや病気を通してであればなおのこと、これからの人生に確かな意味を見出すきっかけにしてほしいと思います。たとえ別れという悲哀の使命からもまた学ぶことはあります。そこから何か自分にできることに行き着けば、今度は、世に与える人生を得るチャンスにもにもなるのですから。
(以上)

樋野先生のご著書の末尾をそのままご紹介しました。
ほんとうに、このようになりたいものだと、改めて深く思います。
このあと
「患者さんが笑顔を取り戻すために医療の革新をめざして」というあとがきがあるのですが、わたくしの母の郷里である万座温泉に療養施設を建立したいとのお考えまあるようです。

ぜひ、実現していただければ、群馬県人としても鼻が高いです。

この著書を、少なくても、わたくしの紹介で、あっこ様と高橋先生に読んでいただけたことは、私にとってこの上ない喜びです。
この場をお借りして、厚くお礼を申し上げます。

2015.8.26 (完)




あきちゃん先生

あきちゃん先生

こんばんは。
こちらこそ、本当に毎回有難いお言葉の数々ありがとうございました。

かーこは、脳脊髄液減少症になって、それを克服したわけですが、
その過程で今まで気づきもしなかったことを気づかされたり、そして理不尽という現実が世の中にまかり通っている事実もしり、そして、それがゆえに、どうあるか・・to beも考えさせられることが多くありました。また、喜怒哀楽の起伏があんなに激しい時期も今まで経験したことがなかったのですが、それ以上にいろんなことに感謝することも多くありました。

かーこの辛かった病から、私はあきちゃん先生とも知り合うことができたり、ギフトも多かったように思っています。

かーこは、病の前よりも生き生きとして仕事に打ち込んでいます。
お互い、忙しい合間に電話で話すことがありますが、その内容には、やはり、おまけの人生をいただけた感謝がかーこの言葉の中にあります。それは、病の前の仕事に打ち込んでいたかーことはまた違い、うまく説明できませんが、いい意味で病の経験がかーこの中で生きていると感じます。

病は失うことばかりでは決してなく、かけがえのない経験として、生きるために存在するようにさえ思います。

あきちゃん先生、沢山私たちのブログにコメントいただいて、色々なことを教えていただき、その姿勢から多くを学ぶことができました。そして、あきちゃん先生が紹介してくださいました本はどの本もとても素晴らしく、私の中に蓄積している気がしています。本当にありがとうございました。

それでは、また最後の記事をUPいたします。しばらくお待ちくださいね。
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