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なすべきことをなそうとする愛

暑い日がつづきますね。エアコンから離れられないだけでなく、日中は外にいくのを憚らざるをえないほどの暑さです。先日は軽井沢に家族で小旅行をしてきたのですが、避暑地が避暑地ではなかったです。ただ、朝晩は涼しく、日中も森の木陰を散策するのはかろうじてできる気温でしたので、なんとかリフレッシュできました。

それでは、あきちゃん先生のコメントを紹介します!

本症の患者ご家族や御本人の体験談、高橋先生の病態の講義と「病気に負けないポジティブライフ」のご講演でした。
いつもながらの流暢なお話で、「過去にこだわるのではなく、今できることに目を(気持ちを)向けるという内容は、実に説得力があるお話でした。

さて、本題です。(以下、引用)
「なすべきこと」とは、自分に与えられた役割と考えればいいでしょう。それはだれかに強制されたわけでも、やらなければならないという義務でもでもなく、評価や称賛を得るためにするものでもない。今自分にできる喜びとしてやることだと私は考えています。そのための原動力になる愛、大きな意味では人間愛が、なすべきことをなそうとする愛、といったところでしょうか。
 どんな状況や境遇にあっても、自分になすべきことがある人間は強い、とがん哲学外来を続けてきて思います。そういう患者さんは、試練という事実を直視する強さや、大きいことは大きく、小さいことは小さく、大切なことと今はどうでもいいと思えることを判断する胆力があるのです。そして、自分を支えてくれる家族を巻き込む大きな愛を感じます。(以上)

あと数節を残すばかりになって、樋野先生の内容が、いよいよ哲学的になっていますね。笑
ただ、
>試練という事実を直視する強さや、大きいことは大きく、小さいことは小さく、大切なことと今はどうでもいいと思えることを判断する胆力があるのです。

ここのところだけは、誤らないようにしなければいけないと私も強く思います。
「病の気」になると、一番狂うのが、体調よりも、「尋常な判断力」です。
そこさえ誤らないようにすれば、たとえ「病の気」にはなっても、「気の病」にはならないような気がしますし、そうありたいです。


ここまで。

>今自分にできる喜びとしてやることだと私は考えています。そのための原動力になる愛、大きな意味では人間愛が、なすべきことをなそうとする愛、といったところでしょうか。

高橋先生の講演会にあきちゃん先生が参加されたのですね。高橋先生は、なすべきことをなそうと懸命に行動されている医師なのだと尊敬申し上げます。

今自分に出来ること、大きなことでなくても、生きるという実感を得られること、それはこの章のテーマ「与える」ことにも繋がっていると思います。等身大の自分の心が、一番喜ぶことをすることができるといいなと思います。

樋野先生がおっしゃる、原動力になる愛、人間愛、なすべきことをなそうとする愛、これらは漠然としていて掴みどころがないけれども、人間の根幹をしっかり支えるものだとも思えます。自分がされて嫌なことはしない。自分が言われて嫌なことは言わない。これも、愛だと思います。

このテーマを読んでいると、私には、母がふと心に浮かびます。
私は神様を信じていて、それは母の影響が大きいです。母は常に、心が喜ぶことをしなさいと言います。神様は見ている。そして、悪いことは天に向かってつばを吐きかけることだから、結局は自分に戻ってくるとも言います。自分がなすべきことが、心が喜ぶことであるなら、それは誰に判断されなくとも良いのだと。近所の臭いドブの掃除をしたり、見ず知らずの人が軒下で雨宿りをしていると家のビニール傘を持っていき渡そうとする母、友達が肩こりで辛そうにしていたら、そこにとんで行って肩をもんであげるような母ですから、自分もああいうふうになりたいな・・と思います。

小さいことでも、なにか心が愛で満たされる行動を出来るようにしたいです。背伸びしたらしんどくなるかもなので、肩肘はらずに、まずは笑顔や笑いを与えるのも良いですね。

>「病の気」になると、一番狂うのが、体調よりも、「尋常な判断力」です。
そこさえ誤らないようにすれば、たとえ「病の気」にはなっても、「気の病」にはならないような気がしますし、そうありたいです。

「気の病」に飲み込まれる人は病になった人の中に少なくはないと思います。だからこそ、あきちゃん先生のように、そこを意識されることはとても大切だと思います。それまでが健康であればあるほど、病になったときのギャップは大きいです。だからこそ、判断力も狂ってしまったりするかもしれません。人間は弱いですから、「気の病」になりそうなときには、このようなあきちゃん先生の考えを参考にされてみてもよいと思います。


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病床にあっても、あなたは役立っている。

あっこ様
みなさま

Windowsを10に無償グレードアップしたら、サクサク行って気持ちがいいです。

今日、テレビを見ていたらテレ朝の「しくじり先生」
http://www.tv-asahi.co.jp/shikujiri/
で、「アインシュタインンのしくじり」というのをやっていました。

そのなかで、
「他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ。」
という彼の言葉が紹介されました。

同じことを考えてる人は、やはりいるんですね。
そういえば、アドラーもアインシュタインも、同時期のドイツからのアメリカ亡命者です。アメリカがBIGな国になるわけだ…

さて本題です。いよいよ、あと2節を残すだけとなりました。
(以下、引用)
見舞いに来てくれた人や接してくれる人を、逆に力づけ、元気にして帰すことができるのです。そして、生きる意味や死について考える機会を与えているのだということです。

あなたが、もし、何かをしてもらうだけの立場になったとき、このことを忘れないでください。
まさに、 to do (何をするか)よりもto be(どうあるか)です。これが、いきていること、存在することの意義だと感じずにはいられません。
(以上)

病気、特に長期の療養を要する症状を持つと、言いようのない無力感?のようなものが襲ってくと事が多いと思います。

私も、4度の長期療養休暇で、「おみそ恐怖症」(笑)になったことは、
前述したとおりです。
この時に、樋野先生のお言葉を知っていれば…
病気の私ですら、だれかの励みになることもできるなんて…

考えてみれば、「老い」や「死」を他人に考えさせるほど、相手の「生」にとって役立つことはないですよね。
究極の「リフレーミング」ですよね。

いよいよ、最終節のご紹介を残すのみとなりました。
乞うご期待! なんちゃってv-221


あきちゃん先生

あきちゃん先生

こんにちは。

>そのなかで、
「他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ。」
という彼の言葉が紹介されました。

同じことを考えてる人は、やはりいるんですね。
そういえば、アドラーもアインシュタインも、同時期のドイツからのアメリカ亡命者です。アメリカがBIGな国になるわけだ…

確かに・・他人のために尽くす人生、それが、自己犠牲ではなく、
自らの喜びでもあるような人生はとても価値があると思います。

そして、そういう喜びに満たされた中で築き上げられる社会は
BIGになるのでしょうね。

考えてみれば、終戦の時の映像を見るにつけ、
あれだけの焼け野が原から、ここまでの復興をとげる日本も、
日本人の心にやはりプラスの思考があり、その思考の集積が
発展につながったのだと思わざるを得ません。

海外に住むと、移民が多い国は、本当にいろんな思考の方
に遭遇し、勉強になる反面、日本人の素晴らしさを感じる
ことも多くありました。

そして、今回のテーマ、あるがままを受け入れることto beを
大切に想う気持ちはすべての基本であるきがしています。
そして、実はto do(行動すること)とも密接につながっていて、
切り離せないようにも感じています。

人間、なにか悩んだり苦しんだりしたときに、基本を大切に
する姿勢、つまり、to beをそのまま大切にする姿勢が
必要だと感じました。

あきちゃん先生、あと一章ですね。長いあいだ、本当に
ご紹介ありがとうございました。あと、一章寂しくはありますが、
よろしくおねがいします。

それでは、また近日中にUPします。
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あっこ&かーこ

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