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センス オブ プロモーション

今日は梅雨らしい天気です。気圧の影響もあり、脳脊髄液減少症の患者にとっては、本当に辛い時期だと思います。どうぞ、お身体をご自愛ください。それでは、あきちゃん先生のコメントを紹介します。

さて、本題です。(以下、引用)

「センス・オブ・プロポーション」
悩んだとき、迷った時は、何が大切で何がどうでもいいことかを決めるセンスを磨くことが大切です。(当節リード文)

この言葉は、新渡戸稲造が残した言葉です。

イギリス人やアメリカ人は、何が大きいことで、何が小さいことかを見極める「センス」をもっている。ところが、日本人には、それが欠けていて、重要なことと些細なことを混同して、どうでもいいことの周囲をうろつくばかりで、核心をつかめないという手厳しい評価です。

悩んだとき、迷ったときは、何が大切で、何がどうでもいいことかを自分で決めること、そして、すべきことがわかれば、手順を踏んで本気でやることです。
人にまかせられることはまかす、これも肝に銘じておきたいことです。

ときに、患者さんやスタッフの中には、人間関係についての悩みを吐露する人もいます。また、病気とは関係のないたぐいの悩みを訴えることがあります。
そんなとき、私のアドバイスは決まっています。
「ノミ、シラが肩をちくりと刺すごとし」
センス・オブ・プロポーションのエッセンスをユーモアを持って表していると思います。
(以上)

前述しましたが、「悩みをもつ」ということは、その人が今以上に伸びようと考えている証拠だと考えています。全然、悪いことではありません。
また、小さい悩みごとは、日常生活を大きく発展させます。それが日本人の長所でもあると思います。長所と短所は表裏一体なのです。

問題なのは、悩みがあるかどうかではなく、それを解決する手段や気力をその人が持ち合わせているかなのだと思います。
それで、人間の「大きさ」や「品性」も決まってくると思っています。



ここまで

>イギリス人やアメリカ人は、何が大きいことで、何が小さいことかを見極める「センス」をもっている。ところが、日本人には、それが欠けていて、重要なことと些細なことを混同して、どうでもいいことの周囲をうろつくばかりで、核心をつかめないという手厳しい評価です。

これは、言語にもその理由があるように感じています。英語はまず言いたいことを最初に述べる言語なのに対し、日本語は最後まで何が言いたいのかわからない。誰がどうしたいのか。したくないのか・・。これが曖昧なままで最後までわからない。主語を明示せず結論が最後までわからない言語文化に日本人の曖昧さの一端があるように思います。

ただ、それが悪いことなのか・・というと、私はそうとも思いません。それは、日本人の奥深さにもつながり、思いやりにも繋がっていると思うからです。

曖昧さに関してのみいえば、最初の悩みから派生して、悩み自体も曖昧にし、次から次へと悩みを大きくしたり、重要なことをぼかしてしまうのはとても残念なことのようにも思います。

悩みができたなら、それが自分の力で解決できるものかどうかを判断して、それが他者を変えないと解決できないようなものであるのなら、さっとその悩みを手放す(離れる)ことも必要かもしれません。自分の努力で解決できるものであれば、時間薬という薬をフルに活用しつつ、尽力してみると良いかもしれません。抱え込まず、だれかに話してみて重荷を軽くするのも良いかもです。

あの時あんなに悩んだけど、今となっては懐かしい思い出・・ということも思い返せば沢山あり、そう考えると、今の悩みは永遠には続かないとも言える気がします。過ぎていく時間の中で、かならず薄らいでいくものだとも思うのです。

あきちゃん先生のおっしゃる、「解決する手段や気力をその人が持ち合わせているか」ということが、悩みに限らず、どんな場合でも問題が起こったときの大切な姿勢のように思います。「悩みがないのよ~。幸せ~」・・と屈託なく話す友人を見ていると、自分なりの解決策を持ち合わせていると感じることもあり、それは実は深い経験から身に付けたものであることもよくあることのように思います。

また、『人間の「大きさ」や「品性」』は、苦しい経験をしたような場合には、それを自分の味方につけて、そういう経験がない人よりも早く確立できるのかもしれないと思います。

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人生の目的は品性を完成するにあり

あっこ様
みなさま

先の書き込みに、タイプミスが数か所あり、失礼いたしました。

>「悩みがないのよ~。幸せ~」・・と屈託なく話す友人を見ていると、自分なりの解決策を持ち合わせていると感じることもあり、それは実は深い経験から身に付けたものであることもよくあることのように思います。

また、『人間の「大きさ」や「品性」』は、苦しい経験をしたような場合には、それを自分の味方につけて、そういう経験がない人よりも早く確立できるのかもしれないと思います。

まさにおっしゃる通りだと思います。「リフレーミングの手法」1つにしても、それができるのとできないのでは、「明朗快活」の面で、ずいぶん違うだろうし、「人間の悩みは、すべて人間関係の悩みである。」と体得できていれば、人付き合いは、全く今までと違うものに発展するだろうと思います。

2月以来? ご紹介してきた 順天堂大学教授 樋野興夫先生のご著書「いい覚悟で生きる」(小学館)もいよいよ、第五章(最終章)「与える」に入ります。あと50ページです。
あっこ様、みなさま、お付き合いありがとうございます。

今回のテーマは、樋野先生が前の章でも述べられていますが、あらためて取り上げられている意味を考えたとき、「与える」という要素が含まれることが多気のではないかと考えました。

アドラーいうところの「共同体感覚」です。私は、共同体から必要とされているという意識こそ、その人の生きがいになるわけだし、そういう貢献的な行動の積み重ねが、その人の「品性」になるのだと思います。

さて、本題です。(以下、引用)

「がんになる前の自分の人生が最高だなんて、だれが決めたんですか ? 今の仕事が好きなら、続けられたらいいじゃないですか。自分で決める人生は、病気とは関係ありませんよ。」

困難、苦難は、がんに限らず、だれにでも襲いかかるものです。そのとき、以下に耐えるか。そして、「人のためになる」ことにいかに気持ちを向けられるか。耐えることで品性が生まれ、品性を磨くことによって希望が生まれます。
(以上)

この節は、樋野先生が、私に、私の生きる指針を諭してくださっているのだと感じました。

私は、自分の疾病に対して「耐える」と思ったことは、ほんの初期段階をありませんが、「人のためになる」ことは、常に意識していたように思います。そして今でも…

実際に、どれだけ人の役に立っているかどうか、はなはだ疑わしい部分もありますが、「お役に立ちたい」といつも考えていますし、これからもその考えは続くだろう、いや、続けなければいけないと思っています。


あきちゃん先生

あっきちゃん先生

こんにちは。

順天堂大学教授 樋野興夫先生のご著書「いい覚悟で生きる」(小学館)もいよいよ、第五章(最終章)「与える」に入りますね。

どの章も深い内容であると同時に、樋野先生の優しさや「与える」姿勢を感じずにはいられません。

こちらこそ、あきちゃん先生ひとつひとつ丁寧に考察してくださり、
有難いご意見も頂けることを心より感謝申し上げます。

それでは、またアップしますので、しばらくお待ちください!

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