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あっこ様
>樋野先生はその部分についても、「成功、財産、地位…。人がこしらえた価値観にすぎない」と説明を加えており、病でそういう物を放棄せざるを得ない方々を察して補足を加えたのではないかと感じます。
「しあわせ」というものを一元的にとらえれば、たしかに、病気によって放棄「せざるを得ない」という考え方になるのだと思います。
私も、4度の長期療養休暇によって、失ったものは、少なくはありません。
しかし、相田みつをさんもおっしゃっている通り、「しあわせは、いつも自分のこころが決める」のだと思います。しあわせの形状?は、無限大に存在し、かつ、その人にとっては「唯一絶対」のものなのだと考えています。
そういう意味で、今、私はしあわせです。
さて、本題です。(以下、引用)
「センス・オブ・プロポーション」
悩んだとき、迷った時は、何が大切で何がどうでもいいことかを決めるセンスを磨くことが大切です。(当節リード文)
この言葉は、新渡戸稲造が残した言葉です。
イギリス人やアメリカ人は、何が大きいことで、何が小さいことかを見極める「センス」をもっている。ところが、日本人には、それが欠けていて、重要なことと些細なことを混同して、どうでもいいことの周囲をうろつくばかりで、核心をつかめないという手厳しい評価です。
悩んだとき、迷ったときは、何が大切で、何がどうでもいいことかを自分で決めること、そして、すべきことがわかれば、手順を踏んで本気でやることです。
人にまかせられるkとはまかす、これも肝に銘じておきたいことです。
ときに、患者さんやスタッフの中には、人間関係についての悩みを吐露する人もいます。また、病気とは関係のないたぐいの悩みを訴えることがあります。
そんなとき、私のアドバイスは決まっています。
「ノミ、シラが肩をちくりと刺すごとし」
センス・オブ・プロポーションのエッセンスをユーモアを持って表していると思います。
(以上)
前述しましたが、「悩みをつ」ということは、その人が今以上に伸びようと考えている証拠だと考えています。全然、悪いことではありません。
また、小さい悩もごとは、日常生活を大きく発展させます。それが日本人の長所でもあると思います。長所と短所は表裏一体なのです。
問題なのは、悩みがあるかどうかではなく、それを解決する手段や気力をその人が持ち合わせているかなのだと思います。
それで、人間の「大きさ」や「品性」も決まってくると思っています。
あきちゃん先生、こんにちは!
今日は梅雨らしい天気ですね!
悩みについては、私も同感します。
解決する手段や気力を持ち合わせているかどうか・・。大切
ですね。その人が、解決できないほど苦しんでいる場合、
もしかすると、周りがその人の気持ち和らげてあげるよう
そばにいてあげたり、話を聞いてあげたりできれば
良いですね。
それでは、またアップしますのでしばらくお待ちください!
いつも、ありがとうございます。