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「天寿ガン」で生きましょう

GWも終わりましたね。今年は、伊勢神宮と熊野本宮に参拝してきました。景観も素晴らしかったですが、言葉にできない趣と重厚感がありました。古代からの祈りの蓄積を感じました。日本の心のふるさとですね。

それでは、あきちゃん先生のコメントをご紹介します。


つい最近まで、「がんは不治の病」と言われ続けてきました。
見る影もなくやせ細り、抗がん剤の副作用に苦しんだ挙句、痛みに耐えかねて悶えながら、一命を落とす…こんなイメージをお持ちの方も少なくないでしょう。
最近では、当地のがんセンターの医療過誤が大きな社会問題にまで発展しました。

実は私もそこの患者でした。最先端の放射線療法で、大変お世話になっただけに、今回の報道は残念で仕方がありません。

このような暗いがんのニュースの中、現在では、とくに分子標的薬の進歩により(医学・薬学的な進歩だけでなく、保険適用になったことが重要です)、私のようなステージⅢの患者でも、社会生活が営めております。
ステージⅣ(臨死状態)に進行するまで、気づかないということはないはずなので。

(以下、引用)
がんは、遺伝子のがんが変異してがん細胞ができても、外部から意識的に介入すれば、つまり、早期発見と的確な治療によって、病状や信仰を変えられるドラマタイプの病気といえます。また、いずれは発がんに至るとしても、80歳で発症するのと、40歳で発症するのとでは人生、大きな違いがあるのは言うまでもないと、
40歳でがんになっても80まで生きられるように、がんの進行や転移を遅らせる、完治とまではいかなくても、天寿がんを全うするまでがんの細胞と共存しながら生きていく「天寿がん」の実現化ががん研究の責務と思っています。

「天寿がんでいきましょう」
この言葉の語感には、がんと共存する人生を患者さんと家族が心地よく受け止めたくなるような、さりげない機能があるようです。
(以上)

この節は、まるで、樋野先生が私をご存じで、私のために書いてくださっているように感じました。
48歳の秋に、咳がなかなか止まらないとおもっていたら、半年で体重が20kgも減り、階段を2階に上るのも大変になっていました。

精検、即、入院。半年間に及ぶ長期のR-CHOP療法の開始です。
http://ganjoho.jp/data/professional/med_info/path/files/basic_pub_ML01.pdf
(最近では、これらの治療が入院なしで行える患者さまも多いそうです。)
半年間の様子については、高橋先生のブログでも度々紹介しているので、あっこさまも御存じのところですが、当時、教育研究の最先端?を走っていた私にとって、にわかに受け入れられるものではありませんでした。

それを可能にして、「がんと付き合いながら生きていく」と思わせたものは、
①家族や周囲の思いやり
②リツキサンの保険適用。(それまでは、1アンプル数十万円していました!)
③医師団の手厚い看護(そのうち、1人は、私の教え子、また、主治医の指導教官は、私の教え子の保護者でした!)
さらに、担当看護師は、現在、別の通院でもお世話になっています!
こういう、様々な「幸運」に恵まれたことが大きかったです。

まさに、「不幸中の幸い」でした。
こういう「不幸中の幸い」を、当然、脳脊髄液減少症の患者さまも享受すべきだと思っています。
それが、私が本症の周知活動に微力ながら御協力したいモチベーションになっています。


ここまで。

あきちゃん先生とは、長いお付き合いをさせていただいているような気が私は勝手にしておりますが、
最近からブログを読んでくださっています方の中にはご存知でない方もおられるかもしれません。
あきちゃん先生が、脳脊髄液減少症の周知活動に協力してくださっています経緯も今回は
紹介させていただきました。

あきちゃん先生は、天寿ガンを全うされることだと思います。
あきちゃん先生の言葉や考え方に、病との向き合い方のヒントも沢山あるようにいつも感じています。

病に垣根はない・・それをあきちゃん先生は体現してくださっているように思います。
ご自身の病のことだけでなく、どんな病であっても、この病には保険が適用、これは適用外、しかも適用されない背景に社会的理由があることも深く理解してくださって、おかしいことにおかしいと向き合って下さる姿勢に感謝しております。

病は人が生きていく上では避けられないものです。一方、健康でありたいと望む人の気持ちも同じだと思います。
いったん病になって、それと向き合わなければならない時に、病とだけ向き合える環境かどうかは、非常に患者への
心的負担や経済への負担に関わってきます。

一日でも早く、脳脊髄液減少症の患者が病とだけ向き合い、周囲の理解を得られる環境になるよう
そして、願わくば早期の治療の元完治することを願わずにはいられません。
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「病気であっても、病人ではない。」

>あきちゃん先生が、脳脊髄液減少症の周知活動に協力してくださっています経緯も今回は紹介させていただきました。

実は、私が「脳脊髄液減少症」という病名を知ったのは、この病気の権威であられる山王病院 高橋浩一先生とお近づきになれたことがきっかけでした。
それも、病気のことから始まったのではなく、高橋先生の大贔屓である「日本ハムファイターズ」球団のGMをたまたま私の一番年の近い叔父がしていたことが発端でした。

しかし、高橋先生のお話を伺い、本症を取り巻く現状を知れば知るほど、「理科的なことと社会科なことを混同してしまっている矛盾」に気づき、本症の保険適用に向けて、職業上も、一般社会人としても、何かできることはないかと考えているところです。
幸い、高橋先生には、当地でご講演いただくことができましが、そのほかは、患者会のHPへの記述、市立図書館への蔵書リクエスト等、だれでもできるような簡単なお手伝いぐらい」しかできていませんが…

さて、本題です。
樋野興雄夫先生(順天堂大医学部教授)の「いい覚悟で生きる」(小学館)のご紹介も、いよいよ第4章「乗り越える」に入ります。

「病気であっても、病人ではない。」
この言葉は、常に私が心がけている言葉ですし、高橋先生も常々おっしゃっています。

(以下引用)
「自分の環境を固定して、限られた視野から物事をみるよりも、俯瞰的な視点から気づくことは多いはずです。」
(樋野先生のリード文から。)
病気で悩んでいる人は、往々にして、車の運転席のような限られた視野から世界を見て、それが世界のすべての世界だと考えてしまいがちです。その視野をぐんと広げて、空から下界を見てみましょう。俯瞰で見ると、今病気である自分がすすんでいる道の様子や行き先を見はらす気持ちになりませんか。そして今抱えている悩みが、案外と小さいものだと気づくこともあるでしょう。病人という境遇から離れて広い世界を見ることは、物事の本質を見極める視点を持つことです。それは自分自身を取り戻すきっかけになります。

聖書のマタイによる福音書24章6節に、次のような文章があります。
「また、戦争のことや戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。」
私は、この「戦争」を「がん」に言い換えてみるのです。
「がんの情報やがんのうわさを聞くだろうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。いつかがんは発症するでしょう。しかし、終わりが来たのではありません。」

病気であっても、病人ではない人生を生きられる社会の構造は、私とがん哲学外来の偉大なるお節介としての使命だと思っています。
(以上)

社会の構造もそうあるべきだとは思いますが、それよりも重要なのは、患者一人一人が、「病気ではあっても、病人ではない。」と思えるようになることが「いい覚悟で生きる」患者の資質だとは、ずっと考えてきました。
その考えと樋野先生のお考えが、たまたま一致しただけと、「都合よく」考えています。笑









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