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マイナス×マイナス=プラス

それでは、早速あきちゃん先生のコメントを紹介します!

以下、引用)
苦しい時こそ、明るく元気な人からプラスの力をもらいたい
と思うかもしれません。しかし、この組み合わせは、
明るく元気な人までつらくさせます。
残念なことに、プラスの人はマイナスの人を
さりげなく避ける傾向にある、という印象を私は持っています。

しかし、マイナスを「悲しみを知った人」とするならば、
マイナス×マイナス=プラスに転じます。

病気に限らず、自分ではあらがえない
悲しみを知った人たちが出会うと
元気になる場面を私はずいぶん見てきました。

そのひとつが、岡山県の国立療養所長島愛生園に招かれて開催した、
がん哲学外来カフェでの出来事です。

「らい予防法」という法律のもと、
患者は強制的に療養所に収容、隔離されてしまったのです。
そして、長年にわたり、患者さんと家族はいわれのない
偏見や差別を受けてきた歴史があります。

今もある偏見・差別のために様々な苦痛を強いられて、
現在に至っています。

当日は、入所者のほかに、一般の来場者も多く、
他県からの参加もあり、さらに驚いたのは、
不登校経験者が5人もいたことです。

共に辛苦の中で偏見を持たれ、深い悲しみを知る人々ですが、
初対面でも和気あいあいです。
特に若い彼らは、ハンセン病の後遺症に加え、
今はがんになった高齢の入所者から話を聞き、
また自分たちの事情や気持ちを話すとうんうん、
そうかそうかと聞いてもらえて慰められたといいます。
それだけの対話ですが、自分たちの居場所が
ここにはあると思えたようです。
共に生きる使命を感じていたでしょう。
(以上)

私も、公民の授業では、必ず「ハンセン病」を
「人権の尊重」の単元の中で扱います。

子どもたちのほとんどは、
「ハンセン病」そのものの知識がほとんどありませんから、
まず、NHKで放映された「にんげんドキュメント」のVTRを見せます。
そして、ハンセン病の歴史や小泉首相の謝罪会見から
現在に至るまでを知らせて、感想文を書かせるという流れです。

「にんげんドキュメント」では、栗生楽泉園に隔離された
桜井哲夫さんの生活の様子が描かれています。
津軽の裕福なリンゴ農家に生まれた彼が、なぜ、
「長峰利造」という本名を名乗れないのか?
桜井さんを世話する在日朝鮮人3世の金正美さんは、
どういう気持なのか? 
一方の桜井さんは、金さんのことをどう思っているのか?

子どもたちは、それこそ、まばたきもそこそこに、
VTRに食い入ります。そして、そのあとは、
本当に、鉛筆が紙の上を走る音が聞こえるぐらい真剣に、
集中して意見文に取り組んでくれます。
社会の授業をしていて、
「マイナス×マイナス=プラス」を私が実感する瞬間です。

私が脳脊髄液減少症の周知活動に取り組まなければいけないと
思った理由も、もちろん、私自身の障害と関係ありますが、
それは、同情とか悲しみとか、そういう次元のものではないと
自分では思っています。



ここまで。


マイナス×マイナス=プラスとは、素敵な表現ですね。
自分に活力がないとき、押され続けたりすると苦しくなったり、
反対に、そういう時にだれかがだまってそっとそばにいるだけで、
自分を充電することができたり、時と場合によって求める対象が変わって
くることはあります。

出会うべき人には、絶妙のタイミングで出会うと聞いたことがあります。

その時その時に出会う人を大切にすることはいまその時を大切に過ごす
ことにもつながり、素敵なことだと思います。

マイナスとかプラスという言葉は、実はあまり好きではありません。
何がマイナスで何がプラスかはそれぞれの価値観の問題でもありますし、
一見マイナスのように思われることも実はプラスの出来事だったということは
沢山あります。

ただ、樋野先生がおっしゃるようにマイナス=「悲しみを知った人」とい
言い換えるなら、確かにマイナス×マイナス=プラスは、とても深い
お言葉に聞こえます。

修正できない過去をみてとどまり苦しむより、
あきちゃん先生が紹介してくださった、
「赤毛のアン」の中の言葉である

”Tomorrow is always fresh with no mistakes in it.”

「今日がいくらだめな日だったとしても、
明日をどんな日にするかは、自分自身にかかっているのですよね。」

という明るい気持ちで、自分を信じて今がダメでも
明日上書き修正してみせる!・・という気持ちを
私も持ちつづけたいです。
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自分を見ないという生き方もある。

今回は、樋野先生ご自身が、ある言葉を引用なさっています。

本題です。(以下、引用。)

私は、1972年ローマ教皇パウロ6世により、ヴァチカンの黙想指導に招かれたモーリス・ズンデル司教の言葉を思い浮かべます。
「自分を放っておくこと、自分に構わないこと、自分を改善するためにでさえ自分を眺めないことである。」
この言葉の中に生きるヒントがあります。

病気になってしまったことをはじめ、自分ではコントロールできないことが人生にはたくさんあります。そんなことに一喜一憂していても意味はありません。だから、悩みを抱える自分のことは放っておくのです。これまで、自分のことを人生の8割考えていたのなら、それを4割にすれば、その分、他者について考える時間を増やすことができるのではないでしょうか。

70歳の男性。(以下、男性)
「死を待つばかりの私ですが、こんな私にもできることはあるのでしょうか。」
樋野先生(以下、樋野)
「お孫さんに内村鑑三野の本『代表的な日本人』をプレゼントしたらいかがですか。
男性:「ああ、それはいい。そうします。」
樋野:「自分を見ないという生き方もありますよ。」

がんの痛みや死に向かう不安今おかれている自分のことを構わず、いっそのこと放っておくのです。その間、孫や家族、あるいは日々接している医療スタッフに思いをはせてみる。相手に対して何ができるという大それたことではなく、思いを寄せるだけでも気持ちがやわらぐはずです。

男性:「先生、人は言葉でこんなにも癒されるのですね。」

実際に孫がその本を読むのはずっとあとのことでしょう。でも、祖父が死の床からも最後のプレゼントしたことは、孫の心にずっと刻み込まれていくことでしょう。

人は最後まで使命感とともに生きるという、最高の生き方を示すお手本でもあるのですからー。
(以上、引用終わり)

前に、私が半年間入院した時に一番恐れていたことの話をしました。
「家族や職場で、おミソにされてしまうこと。」です。

今回も、こんなことがありました。
先月末に検査入院で3日欠勤したのは御存じのところですが、今回は、入院が長引く予定はなったし、入試を控えた生徒たちを心配させても…ということで、ただ「お休みです」しか、生徒には、知らせないことにしました。(教員は、「部外秘」は固く守ります。笑)

ところが、週が明けた月曜日に私が出勤すると、女の子たちが、数人、昇降口で私に近づいてきて、
「先生! 大丈夫ですか?」と聞いてくるではありませんか…

日々、こんな「ドラマ」の中で生活できて、本当に幸せに思います。

明日は、教員人事異動の新聞発表です。いささか、プライバシーの侵害のような気もしますが、やはり、生徒や保護者にとっては、一大事なのでしょうね。
【退職】欄に、私の名前を見つけた生徒たちは、何を感じるのかな…

そして、4月から、日本国中、みんな新しい道を歩き始めます。
今、日本では、諸外国に合わせて、「9月始まり」も検討されていますが、日本独特の「別れの3月、出会いの4月」があってもいいような気もします。



あきちゃん先生

あきちゃん先生 こんばんは!

あきちゃん先生の生徒たちは本当に先生が大好きなんですね!
おそらく、4月から新任の先生もあきちゃん先生のことが
大好きになると思います!

いつも、コメントありがとうございます。
またアップします!

ありがとうございます。

あっこ様

明日は、いよいよ離任式です。頭の中が、なんだかぐるぐる回ってます。(@_@)

今度指導するのは、男性一人、女性一人となります。
新卒さんと他の先生方、生徒との架け橋になれるよう頑張ります。

では、アップよろしくお願いします。
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