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「ふつうの覚悟」でなくて「いい覚悟」

それでは、あきちゃん先生のコメントをご紹介します!

がんや病気と向き合う「ふつうの覚悟」ではなく、
自分の役割意識と使命感を持って生きる決意、
それが「いい覚悟」です。

一般には、がんなのだから、病気なのだから、
その事実をしっかり受け止めて、
病気とともに生きる覚悟をしなさい、
ということだと思うでしょう。

でも、それは、「普通の覚悟」でしかありません。

「いい覚悟」とは、主人公は病気ではなく、
あなた自身が人として成長していくために持つものです。

「自分の人生に期待ばかりしている」あなたは、
「人生から期待されている」にもかかわらず
気づかずにいるのです。

これまでの人生に期待するばかりだったとしたら、
これからの自分は人生から何を期待されているのかを、
ぜひ謙虚な気持ちになって問うてみてください。

今の自分にはどんな役割が与えられているのか、
他人のために使える能力は、何か残っていないのか。
病気の自分を病人としてではなく、
ありのままのあなたとして生きる使命感を見つけたならば、
必ず「その人らしいものが発動」してきます。
他者に関心を持ち、人とつながることで
人としての成長を続ける「いい覚悟」が芽生え、
付きまとう苦悩を少しずつ忘れることができるはずです。
(以上)



ここまで。

この章のこの部分は私が本当に強く共感した部分です。
自分が自分の人生の主体となる。
起こってしまったことに翻弄されるのではなく、
起こってしまったことを客体として、
自分がそんな中、如何に振舞うことができるのか・・という
人生の中で最難関事項が問われているようにも思えるのです。

最近感銘を受けた方のURLを添付します。
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho56_interview.htm

彼は生まれながら障がいをもちながらも、
自分のできることを自分なりの視点で伝えようとしています。
また、小児科医としてもご活躍されているようです。

どんな状況であれ、人は輝くことができるのだと思います。

過酷な状況であればあるほど、その中で自分を輝かすことが
できたなら本当に素晴らしいことだと思います。

かーこが辛い時、過酷な経験をされた方から、
そっと優しい言葉をかけていただけたこと・・
そういう言葉に救われたことは幾度となくあります。
その方の輝きを垣間見ることができました。

死というものはいつやってくるかわかりません。
余命(というものが仮にあったとしたら)を宣告されながらも、
それを幾度となく更新しているあきちゃん先生の
お言葉の、

「これからの自分は、人生から何を期待されているのか。」
を考えながら、若い先生方の育成を、
生徒たちの活躍を通しながら
目指して行きたいと考えています。」


というお言葉にも高貴なものを感じてしまいます。

私も、今の自分ができることを一生懸命
していこうと思います。
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「いい覚悟」

あっこ様
か~こ様
みなさま

「病気ではあるけれど、病人ではない。」と自分自身を思っています。
さらに、病気から、身体障害者手帳を得る身となりました。
病気なら治りますが、障害は、治ることはないのです。
ならば、「自分ができることをする」ということに意識を持っていかないと、毎日の生活、大袈裟にいうと人生が、とてもつまらないものになってしまうと考えるのです。

>どんな状況であれ、人は輝くことができるのです。
私は、ことさら「輝こう!」などと思っているわけではないですが、まだ若い頃、先輩教員から、「仕事は、できる人のところに回ってくるようにできている。」とよく諭されていました。
だとすると、今回の「新規採用教員指導」という職務に、自然と熱意が沸いてきます。
私が一人の若い教員を育てることが、たとえば、日本にどのくらい影響を与えるのか…と考えると、張り切らざるを得ません。笑

次便で、また、「いい覚悟で生きる」の樋野先生のご紹介に戻ります。

思い出すのもいやな思い出ともつきあう。

あっこ様
か~こ様
みなさま

樋野先生のお言葉を紹介します。
(以下、引用)

思い出は甘く、美しく、いいものばかりとは限りません。
中には、思い出したくもない、いやなものもたくさんあるでしょう。
そういう思い出の中でもっとも気にかかるのは、人間関係にまつわることのようです。

病床で思い出をたぐる作業が、自分の問題に立ち向かう勇気をもたらしてくれるのです。

大病になったとき、患者さんが抱える悩みは、病人としての悩みではなく、人間としての悩みです。謝りたいのに謝れない苦しさ、許したいのに許せない苦しさ、心の奥底でくすぶっていた罪悪感やうらみつらみから自分を解放するには、「許しあう」しかありません。このチャンスを逃してはならないのです。
この課題を果たすことが「今の自分がなすべきこと」となって、患者さんに使命感を育みます。(以上)

この辺は、私がかじっている「アドラー心理学」と完全に一致しています。
いわく。「人間の悩みは、すべて、人間関係の悩みである。」
いわく。「こうすることは、自分の利益ばかりでなく、相手のためにもなるだろうか。」
「こうすることは、自分と相手の利益になるが、それはもっと大きな共同体にとってはどうだろうか。」と、より大きな共同体のためになる方向を選択することである。
アドラーは、これを「共同体感覚」とよんでいます。

私は、共同体感覚が発達した人間に成長したいです。
「まだまだ」です。私の「永遠の課題」です。

でも、この「まだまだ」があるから、人間は成長できると思うのです。
アドラーは、この「まだ、まだ」を「劣等感」と名付けました。
このあまりにも有名な「劣等感」という熟語は、実はアドラーが名付け親だと知らない人も多いでしょう。笑

そして、アドラーは、「劣等感こそが、人間が成長できる根源である。」とのべています。

前述した、「謙虚に自分を振り返る(樋野先生)」ともつながると思います。
「病床に伏す」という「ピンチ」を、「謙虚に自分を振り返る」という「チャンスに置き換える」ことができたら、こんなに素晴らしいことはないですよね。

その点、私は、うらみつらみの渦の中から抜け出られないでいる「まだまだ」の人間ですが。泣

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