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か~こ様
私が悪性腫瘍で、半年間の入院を強いられた時、周囲を恨んだり,うらやんだりする気持ちは、まったくありませんでした。
それほどまでに、自分のことしか考えられていなかったからでしょう。
しかし、同時に、自分が、自分と(病気になった自分も含めて)どのように「付き合っていけばよいうのか。」自分について、今までになかったほど深く考えられたとも思います。
トラベルビーという看護師・看護学者が、その著書「人間対人間の看護」のなかで、次のように述べています。
「病気は人間的体験である。それは脅威であり苦難の体験でもある。患者が病気という人生経験に「意味」を見いだし、自己実現に向けて歩むために看護師個人の持つ信念や態度を非常に重要視している。」
罹患した自分を、どのように自己実現できるかで、患者ひとりひとりの病気の意義も違ってくるのではないかと思います。
「人間対人間の看護」
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E7%9C%8B%E8%AD%B7-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A4%E3%82%B9-%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC/dp/4260344870
は、「看護される」側=患者にも有益な示唆を与えてくれる名著です。
あきちゃん先生
早速のメッセージ有難うございます。
>病気は人間的体験である。
>それは脅威であり苦難の体験でもある。
全くその通りですね。
自分自身、病になるまで自分の体が思うようにならないなんて
考えてみたこともなかったです。
病になって当たり前ではなかったことに気づかされ
私も自分自身を内の内まで観察しました。
思うようにならない身体とどう付き合うか
そして、そんな状況でも自分の心が一番楽になる方法はどうするべきか
深く深く考えました。
こんなことになっているとは知らない
また知ろうともしない加害者に届かない憤りを感じて
自分自身が疲れ果てたりして・・・
結局のところ自分の状況を自分自身が複雑にして
心の整理がつかなくなって苦しんだり
そして、それが耐えられなくなり
事故という過去の現実を切り離して受け入れてみようと努力したり
あれほどまで内観した時期はなかったと思います。
そんな時に薬物乱用のニュースが飛び込んできて
いろいろ考えているときだったので
今回の記事にしたのような思いが溢れたことを
つい思い出しました。
病は崇高なところで心を鍛える(磨く)試練であると私は思っています。
辛いことは沢山ありますが・・・。
でも、越えられない試練は与えられないとも思っています。
病の経験をどう自分の人生に生かしていくか
今の私にとても大切ですね!
「人間対人間の看護」の著書のご紹介有難うございます。
読んでみたいと思います。
人間力を上げるためにもたくさんの本を読んでいきたいので
これからも素敵な本を紹介してくださいね。
いつもいつも有難うございます☆
今後ともよろしくお願いします♪
何度も読んでは涙もろかったり、胸が熱くなってくるから
直ぐコメント書けませんでした。
辛さがピーク時は同じ心境になりました
神さまが本当にいるのか、
なら、、どうして助けてくれないのか、
物も金品も何の意味が無い、、社会から取り残されこのままあの世に向かうしがないんだろうかなぁ…
存在すら意味なくなってくる瞬間もありました。
病人当事者しか理解不能だと思います。
何度も読んでは泣きます…
しんぱいして下さいありがとうございます!
症状の波は有りますが良いときも有ったり辛い症状で苦しい時もあり、不安的なので、、振り向いてみると毎年違いますね。
何時か私もかこさんのように完治の日が来ることを心構え待ちます。
あぁちゃん様コメントありがとうございます。
つらい症状の時、逃げてしまいたい、楽になりたいと思ったことが何度もありました。
月に一回の山王病院の診察の時、タクシーから外の景色を見て
私の時間は止まっているのに、世の中は動いていて
自分の存在価値が一気になくなったような気持ちさえして
何とも言いようのない悲しみに突き落とされたりもしました。
神様はいるのか?いたら何故助けてくれないのか?
本当にそう思いますよね。私もそう思っていました。
世の中、健康な悪人もたくさんいるのに私が何をしたというの?
とか・・・
割れそうな痛みに覆われた頭の中をそんな思いがぐるぐる・・・。
でも、私の場合、不思議とそんな時
書物やテレビやカレンダーや花ことばなどなど
色々な自分の周りのものから励ましを頂いてね・・・。
辛くて発狂しそうな症状に覆われ、
そのぐちゃぐちゃになった心を泣きながら落ち着けようとしたとき
「頑張ってえらいね」
と声無き声がメッセージとして形を変え次から次に私に届いたような気がします。
神様は私がこんなに苦しいことをわかってくれているんだと
あの時ほど目に見えない存在を感じたことはなかったです。
肉体が衰弱し一方で心の感度が上がり、そういうメッセージをキャッチする力が備わっていたような気もします。
あれ以来、私を守ってくれる存在がいつも私のそばにいると思っています。
だから・・・誰も見ていないからなんてことは今でも絶対できません。
病の時は心の感度がものすごいスピードで上がります。
人間がこの世に生まれ一番大切な魂の成長に
病はものすごく貢献していると私は思います。
痛みを経験して他の痛みを想像できる人間になる。
辛さを経験して他の色々な辛さに寄り添える心が育つ。
こんな私も、昔よりは少しだけ病のおかげで成長できたかもしれません。
病が長引くと本当に辛いと思います。
誰にも、その人の肉体の辛さを理解し応援し守ってくれる存在が目に見えなくともすぐそばにいます。
辛さを抱えながら、私のことを応援してくれるあぁちゃんさんの優しさに、とても感動しています。
その綺麗なお気持ちが宝だと思います。
どうか無理なさらないで焦らずゆっくり歩んでください。
ありがとうございました。
か~こ様
子宮けいがんを審議する委員が、審議中に製薬会社から金銭を受け取っていたことが、TV等で大きく報道されましたね。
http://gekkan-nippon.com/?p=5308
「ワクチンの効果」というきわめて理科的な問題に、金銭にまつわる利害関係というきわめて社会科的な要素が結びついちゃっている。
もはや、委員会は、「ワクチンは是か?非か?」をまともに論議できるステージにないですよね。
子どもたちに、「世の中のすべてのことは、理科的には容易に解決するが、社会科的には容易に解決しづらい。」と、いつも教えているのですが、また、それが証明されたようで、本当に残念です。
脳脊髄減少症だって、「理科的な解決」は、かなりのところまでいっていると思います。それを、社会科的な要素が邪魔しているとしか思えません。
あきちゃん先生こんにちは。
やはりそうだったのか・・・
というのが最初の感想です。
私はテレビでみていなかったのですが
この問題の裏には巨額のお金が動いているとはずっと思っていました。
ワクチン接種を境にどん底に突き落とされた少女達を診れば
心の問題などと言い放てるわけがないのに
人間の汚さを垣間見たようで残念でなりません。
今回のテレビ報道は
少女たちやそのご家族の少しではあるでしょうけれど
心の救いになったのではないかと思います。
マスコミの報道には時折疑問を感じることもありますが
今回の報道は将来の被害者を増やさないためにも
素晴らしい報道だと思います。
正しさは何かという視点に立ち
信の報道を続けてほしいと思います。
脳脊髄液減少症もしかり・・・
悲劇のどん底に突き落とされた被害者に
更なる追い討ちをかけるようなことだけはあってほしくないと思います。
あきちゃん先生、有難うございました。