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水俣病に思う・・

故三浦綾子さんの小説の中で
水俣病について書かれていました。
「この土の器をも」の一か所を
読んで不満をぶつけてきた
ある主婦のことが紹介されています。
この主婦はで水俣病の公害を
起こした新日本窒素に
勤める方の奥さんだったとのことです・・。

手紙の内容は、
「会社はこれまでたびたび謝罪もし、
補償にも真剣に考えてきたが、
患者の要求額が途方もない高額で…」

「あなた自身、工場で生産される
便利なものをまったく使わず、
自動車も無用とのみ日頃お思いな傍観者のような、
被害者一方の様な発言で
『じぶんだけは手を汚していない』
という態度ができるのでしょう」

「私はたまたま公害企業の従業員の妻ですが、
あなたがそうでないのはあなたの
努力の結果でしょうか」

「相手をこらしめ、補償金をとって
救われ爽快になれるのなら
なんと単純な人の世でしょう」

その他割愛したところもありますが、
このような内容だったそうです。

それに対し、三浦綾子さんは
痛烈にこの主婦を批判しています。

「一人の人間の命は、どんなに尊いことか、
この人は一体わかっているのだろうか。
人間の命を尊いと知っているのならば、
患者の要求額が途方もないなどとは、
決して言えないのではないか。

・・・・中略・・・・

人間の命はいかなる金額に換算しても
「途方もない」ということは
決してないのだということを、
先ず、私たち一人一人が
知っていなければならないのだ。

この主婦は
自分が新日本窒素の従業員の妻として、
白眼視される苦しさを
つぶさに味わっているといっている。
彼女の苦しみは、
あくまで白眼視される会社側に
身を置いての発言であって
水俣病患者の身になってはいない。

もし、自分が水俣病にかかり、
または家族がかかって死んでいたとしたら、
あるいは一生水俣病で
苦しみ生きなければならぬとしたら、
こんな言葉を
 かりそめにも吐くことができるだろうか。

補償金をとって救われ爽快になれるかどうか、
考えてみるがいい。

冗談じゃない。

金はあくまで補償金であって、
救済になんかなるものか。
爽快などになるものか。
金を一億貰おうとも十億貰おうとも、
日々苦しみつつ生きるその苦しさは
消えることはないのだ。

そのただ一度限りの人生は、
もはや絶対取り返しがつかないのだ。
ある人は一生結婚もできず、
ある人は職にもつけず、
ただもがき苦しむだけの一生なのだ。

そのことへの痛みが、
この主婦にはいったいどこにあるのだろうか。・・」

と三浦さんの怒り・・とも思われる文章は続きます。


私も、企業が起こしてしまった事故や公害・・
起こしてしまったという事実は
残念ながら変わりません。
しかし、そこから被害者に
心からお詫びをする気持ちが大切で、
そこに保身があってはならないと思います。

脳脊髄液減少症の裁判について、
三浦さんあてに書かれた
手紙の趣旨と同じようなことを、
なんどか聞いたりします。

かーこは、たとえ10億積まれても
二度とあんな思いはしたくない・・
お金なんてあの思いを味わいながら生きる苦しみの中では
意味がないと言っていました。


被害者をだすような事故が
起こってしまった場合の会社の対応に、
私たちは・・敏感にならざるをえない時代にいきています。
三浦綾子さんは・・最後に自分の心の抑えどころを
こういう言葉で終わらせています。

「私が言いたいのは、
 わが夫であれ、わが党であれ、
 わが会社であれ、わがことであれ、
 悪いことは悪いこととして、反省する姿勢を持たぬ限り、
 解決はないということである。」

自分の会社のあり方に疑問を持ちながらも、
激しい抗議を従業員は出せない雰囲気があると思います。

かーこの損保の担当者が、最初にかーこを見て慌てふためき
かーこが東京で治療をさせてほしいとお願いしたら、即答で、

「東京にすぐに行って治療を・・」

と一回目の治療費は負担する約束をしたあと、
その後、問題になり二回目からは負担できないと
心苦しいような表情で述べたことを知った時・・・

三浦綾子さんが指摘している言葉にも通じる
言いようもない空しさを覚えたのを・・
この本「孤独のとなり」というエッセイを
読みながら思い出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

脳脊髄液減少症を取り巻く厳しい環境が変わりますように・・・。
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No title

日本は命の代金?賠償金が高額か?と言えば、決して高額ではないと思います。交通事故で大事な家族を殺されて、精神的な慰謝料が弁護士会基準で大黒柱が、たかだか2800万円、一生介護が常時必要な重度後遺障害被害者でも2800万円

いったい今の時代に2800万円という金額に、どれだけの価値があるのか?

そして逸失利益からは死んだら物的扱いで本人の生活費まで控除される

重度後遺障害で一生介護の明け暮れる家族の精神的な重責が1億の補償金額で救われるのか?

特に高次脳機能障害で感情のコントロールが出来なくなった被害者は、家族に暴言、暴力を気が付かないうちに出すこともあり、こうなると被害者、介護側とも精神的破綻といつも隣り合わせです。そしてこの程度の高次脳では3級以上の等級の獲得はなく、一番苦しめられる中等度障害の家族の補償はたかが知れているのです。

対人無制限

いい加減な表現だ
裏返してみると、払わない
そうなります

たかぶーさん

おはようございます。

お金に一番の重きを置いている人は別として、
多くの人は、穏やかに生活できるシアワセを
求めていると思います。

ある損保の人が書いたブログで
もう二度とそこにはいくつもりありませんが、
吐きそうになるほど気分が悪くなりました。

そこに、上で書かれていたのと
同じこと、いやそれ以上酷いことが
書かれていました。

つくづく、自分の立ち位置からしか
判断できない人・・なのか・・と
思いました。

その一方、自分の立ち位置であるが故に
言えない人も・・従業員には沢山いると
も思っています。

かーこの損保担当も会社の人間としては
こういわざるを得ない・・と苦渋の様子を
見せていたと言います。

そこに葛藤を持てること・・それは
せめてもの救いだとも思いました。

事故や公害・・起こってしまったことは
仕方がないけれども、そこから何を感じ
何を学び、そして何を変えていくべきか・・
そういうことを企業は考えながら
人々の幸福を追求し続ける存在で
あってほしいと思います。

師走はバタバタとしてしまいますね・・
どうぞ、お身体ご自愛ください。

今さん

おはようございます。

対人無制限・・
そうですね・・・。

被害者になってみて、その言葉のもつ意味を
改めて考えさせられますね。

当事者や当事者の家族になってみて
初めてわかることがありました。

そう考えてみると、実は色んなところに
矛盾や葛藤や理不尽さがこの世には
あって、砂を噛むような思いで生活
されている人がたくさんいるのだ・・とさえ
気づかされたように思います。

払う払わない・・
そういう単純な問題を超えて、
(損保に限らず)企業の在り方として、
どうして払わないのか・・というところにも

どうしてもすべてを満足させる金銭の
支払は困難な問題があるのか・・

それとも、払えるけれども企業の利益のみを
追求するが故に払わないのか・・

そういう部分まで見極め、
今後その企業が存続することが
国民にとってシアワセなのかを
考えて選別していかないといけないですね・・。

被害者になってしまった場合の心の
落としどころ・・これはとても金銭で片付く
問題ではないのですが、自分なりに
視点をいらだつ部分から離して
少しでも人だけでなく・・自然など・・
何かに感謝できたりする方へ
向けられると・・いいかな・・
とも感じてます。

責任の所在

あっこ様

打ってあったのですが、送信し忘れていました。

なぜ、水俣病の企業の主婦が、「逆ギレ」ともいえる言動をしたのか?

それは、このケースだけでなく、今までの医療訴訟でも、今回の原発問題にしても、同じことが言えると思います。

「国の責任放棄」。この一言に尽きると思います。

たとえば、今回の原発問題にしても、企業に当然、責任はあります。
それを否定する気は、さらさらありません。
では、国には?

現政権は、国の原子力政策の結果起こった事故について、当然、法的にも、人道的にも、賠償すべき責任があるのに、すべてを一企業の責任とし、「丸投げ」しています。

そこに、企業側(社員や関係者)の不満が生じるのです。

本症においても、国が責任の所在を認めないこと(保険適用にYES
と言わないこと)から、すべての問題が生じているように思います。

したがって、一保険会社を相手取って「払え」「払わない」の争いは、
何か方向が違うように思えて仕方がないのです。

問題は、もっと大きなところにあると考えています。













あきちゃん先生

あきちゃん先生 こんにちは。

原発の問題に関しての国の対応に関しては
私の主人も私もあきちゃん先生と同じ考え
です。

東京電力の社員は、今まで国民に
豊かな電力を送る努力をしていたわけであり、
事故が起こったら、原子力の問題に関して
国は責任を一企業に丸投げしている・・
そして、恫喝すらした・・という話を聞いたとき
放射能の後始末を一生懸命している
社員に対しなんていうことを・・・と
憤りを覚えました。

自然災害から今回事故は起こったわけで
それには、未然に防げた可能性も
あったとは言われますが・・
東京電力もとてもつらい立場に
おかれた被害者(社)なのだと思うのです。

原子炉建屋を海の近くに建てるという選択を
するときに、国は許可をしたわけですし、
国民一人一人は安全神話のもと
危機感を抱くことも無かった・・
警鐘に関しても、深く考察することもなく
災害と事故が起こってしまった・・・

この事故が起こった責任に関して
国が東電だけを吊し上げようとしていた
姿は、私の目には脳脊髄液減少症の
問題ともとても関係していて、この病が取り残される
責任は国に全くないとする姿に
とても似ていると思えました。

起こってしまったことへの対応が
今後求められる時、やはり命の
問題を軽視してはいけなくて、
それは、原発も然り、脳脊髄液減少症の
問題も然りで・・国の対応がとても
大切だと思います。

豊かな電力を享受していた一国民として
これほどの大きな事故に関しては・・
被災者は除くべきですが・・
(増税などの対応による)痛み分けをしたい・・とも
感じています。

脳脊髄液減少症の問題も
命を軽視している・・
損保の対応には、私は納得できないものも
多分にありますが・・国にも同じ気持ちを
持っています。

No title

水俣の現在の状況は、本当の水俣病被害者の救済とはとても言えるものではないと思います。
貰わないと損、という状態の掘り起こしですよ。
水俣市民として、とても悲しいことです。
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あっこ&かーこ

Author:あっこ&かーこ
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