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病の歴史

主人の祖母は、主人の母が小学校に
あがる前に、5人の子供達を残して
結核で亡くなったそうです。
まだ30代でした。
当時は、結核といえば、不治の病でした。

医者に見放された妻の為に、
当時のお金で、1本5000円の注射を購入する
ために、主人の祖父は駆けずりまわって
お金を工面したそうです。
祖母が亡くなってわずか2~3年後に、
ストラプトマイシンなどの
結核に効く薬がでてきました・・。

主人の母の家は、関西で商売をしていましたが、
結核患者を出したことで、
商売が成り立たなくなりました。
言われのないことを、言われて
当時幼かった義理の母は、
深く傷ついたことも話してくれました。

「大河の一滴」や「青春の門」の作者である
五木寛之氏の父親も結核で亡くなったようです。
五木氏の書かれた著書の中で、
当時は、結核患者がでた・・というと
鼻をつまんで家の前を通りすぎる人もいたため、
ずっと父が結核であることを隠していたと
述べられていました。

今では、こういう話が昔話のように感じるのも、
医学の発展によって、
結核が適切な治療をすれば
治る病気へと変わっていったからだと思います。

脳脊髄液減少症が、人々に知られて
交通事故や身体に受けた衝撃でなりうることが
当り前に皆に知れ渡るようになれば、
医学もそれと共に研究が進み、
脳脊髄液減少症の悲しみの長い歴史に
ピリオドがうてるかもしれない・・。

研究班で作成されている
脳脊髄液減少症の診断基準が、
現在苦しんでいる多くの患者を
救うものであると同時に、
いつの日か、
脳脊髄液減少症の悲しみの歴史に
ピリオドをうつための布石となって欲しいと
切に願います。
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No title

「ベンハー」や「ブラザーサンシスタームーン」
という映画で、当時のライ病患者達が、どんなに偏見や差別の中に生きていたかを見たことがあります。
胸が張り裂けそうでした。

結核も、医学の進歩で今では不治ではなくなったけど、つい何十年前までは、大変な病だったんですよね。

私がその時代に生きていたら、そのような病気の人に対して、どのように接していたか想像できません。

だからこそ、自分自身の中にこそある、差別や偏見の芽に気付いて、今自分の周りにいる人達に、できる限りで温かく接していけたら、と、あっこちゃんの文章を読んで改めて思いました。

脳脊髄減少症の患者さんが、もう悲しい思いをすることがないよう、私も心から祈っています。

それから、まほさん!
温かいお言葉いただいたことに、本当に感激しています。
この場をお借りして、お礼を言わせてくださいね。
本当にありがとうございました。

あっこちゃん、パパとひおちゃんインフルエンザで大変だったでしょう。
週末もまた寒くなりそうだから、無理しないで、
温かくして過ごしてね♪

ほんとうにそうですね

あっこさん、こんにちは。
わたしたちの今の平和と豊かな暮らしがあるのは、
その苦しくてつらい時代を生きぬかれた先人さまのおかげと、
感謝しなくてはいけませんね。

もうそろそろ、
わたしたちはつまらない偏見を捨て去る時だと思います。
豊かになったはずなのに、人間の心が冷淡で、
お若い人が生きにくい社会となってしまっています。

戦争のない国なのに、寿命を全うできない国であるわけです。
ひとりひとりが自分を大事にする生き方であれば、
おのずから人さまをも大事にできます。
自己愛が強ければ、人さまをいじめるとか無関心ではおられません。

お祖母さま、お母さまの悲しみを
もう、引きずる世の中ではいけませんね。
あったかい思いやりのある人が育ってくれるよう、
わたしも微力ながら自分らしくリハビリをがんばりたいです。

>みんみんさんへ
とんでもないです。こちらこそありがとうございます。

あっこさん、かーこさん、みんみんさん、
わたしはみなさんのご健康とお幸せを祈っています。
それが私に出来ることです。
もうすぐ立春。うれしいですね。

みんみんちゃん

ブラザーサンシスタームーンは、私も観ました。
みんみんちゃんから確か薦めてもらったのでしたよね・・。

はじめは、聖フランシスコも皮膚病の患者を
みて逃げていましたね・・。
でも、彼の中で変化がおき、
苦しみの渦中の人と共にあることを
選びましたね・・。

マザーテレサもハンセン病患者を助けましたね・・。

日本でも、あるお坊さんが100年ほど前に、
ハンセン病患者のために病院施設をつくって
あげたようです。その方のお写真を拝見したら
本当に仏様のようなお顔をされていました。

らい予防法で隔離政策が
なされる前も、ハンセン病患者は偏見と差別を
受けていたと読んだことがあります。

そんなときも、来日したシスターが患者を
助けてあげたりもしたそうです・・。

悲しい歴史の中にも、人の本質を見抜き
外見や病による差別や偏見に対し、
周りの意見に左右されない人が存在しました。

私自身は、結核が不治の病の時代に
生きていたら、どうだったか・・わかりません・・。

歴史を振り返ると、間違いに気付くものの
実はその渦中にあるときは、何が真実か
見失ったりすることがあります・・。


声高に多くの患者が苦しみを訴えている現状を
国も、医師も、理解してもらいたいな・・と思います・・。
理解されない苦しみと絶望のなか命を
絶ってしまった患者が、これからは
でなくなりますように・・。
そう願っています。

まほさん

義理の母は、5人兄弟の末っ子でした。
5歳で母親と死別したそうです。
残して逝く祖母の気持ちが・・
どんなに切なく辛いものだったかと
いうことを・・母は年をとるにつれて
理解したと言います・・。

そんな母が、まほさんの言葉と同じ内容のことを
言っていました。

昔はどこかの家が困れば、親戚が親身になって
面倒をみたり、お金も助けてくれたりと・・
寄り添って何とか生きぬいていたのに・・

今は、物が豊かになったけれど、
それに反比例するかのように
困ったときに誰かが助けてくれることが
少なくなったように思える・・と。

孤独である人は増えたのかもしれませんね・・。

私たちは環のようにつながっていると・・私は
感じています。

繋がった相手を、偏見や差別、いじめで傷つける・・・
これは、まわりまわって自分を傷つけているようにさえ
思います。まほさんが仰る自己愛は、まわりまわって
相手をも愛し、理解しようと努力するところに行きつくのだと・・
私なりに理解しています。

いつもありがとうございます。
春が待ち遠しいこの頃ですね・・。
どうぞ、お身体無理なさいませんように・・


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鍵コメさん

コメントありがとう。
とっても嬉しかったです。

脳脊髄液減少症の患者から、言葉にできないような
苦しみの中にあっても、誰からも理解されず、
心がずたずたにされ、死んでしまおうと思った
ということを何度か聞いたことがあります。

交通事故が絡んでくると、保険金詐欺のような
言葉・・。近くの者からは怠けている・・と・・。
あまりの孤独感と、悲しさと、悔しさと、虚しさで
生きているか死んでいるか解らないような
状態でやっと生きていた・・と聞いたことも
あります。

2000年に篠永先生が発表される前から
この病は存在していたわけですから、
多くの人が流した涙が必ずそこにあった
わけです。

ピリオドを打たなければ・・と思います。
そのためには、「知ってもらうこと・・」が
大切だと思います。

きっと光はあります。もう出口近くまできている
かもしれません・・。そう信じたいですね・・。





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