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被害者や遺族に寄り添う心

凶悪な犯罪が後を経ちません。その中でも子供をもつ母として、子供たちが巻き込まれる犯罪は特に心を痛めます。

そして、その犯罪の加害者がまた子供であった事件は記憶から消すことができないほど強烈に私の脳裏に焼き付いています。

少し前になりますが、神戸の連続殺人事件(犯人が未成年)の被害者遺族の父の記者会見をテレビでみて、私は本当に遺族の思いを想像し悲しくなりました。

それは、加害者(当時は未成年)が手記をだしたことに対しての怒りの記者会見でした。

世間を震撼させた事件から何年も経って、やっと最愛の息子さんを亡くした辛い思いをなんとか乗り越えようとしている思いを踏みにじられた、出版は止めて欲しかったということを述べられていました。

私は、憤りを覚えました。加害者の男と、そして出版社に対して、本当に憤りを覚えました。

その後、いろんな人のコメントを読みました。
それは、加害者が書いた手記が、本当に心のうちを述べていて読む価値があるという意見もあれば、私と同じように憤りを覚えるという内容のものもありました。
そして、加害者自身は、自分のやってしまったことに対して、手記でも書かなければ存在すらしてはいけないのではないか・・という内容を述べているとういうことを知り(手記は読んでいないし、読む気もないのでわかりませんが)、自分のために自分が苦しめた人をさらに苦しめることへの罪悪感がないのかと・・怒りを覚えました。

時間薬・・これは、本当にその長い時間をかけて苦しみに少しずつ漆をぬるようにして感じなくさせるものもあると私は思います。
その苦しみの程度にもよりますが、愛するものを殺害された場合には癒える手段が本当にないと思います。しかし、それをやっとの思いで生き抜き、愛する人を弔いながら、生きているという感じではないでしょうか。

許しというのは、難しいと思いました。
私はもし自分がその立場になったら絶対に許せないと思います。
時間薬だけをたより生きていくしかないと思うのが遺族なのかもしれない・・そう感じます。

手記出版。
そこには印税が発生するでしょう。
そして、あれだけ世間を騒がせた事件ですから、買う人もいるでしょう。そこに目をつけて売る出版社もあります。
しかし、私はそういうことが遺族の了解がないままなされていることに憤りを覚えるのです。
辛い人の立場でその人がその苦しい時間をどれほどまでに耐えて生きてきたのかを想像すれば、出版してはいけない本だったように思うのです。

加害者が手記をださなければ存在すらしてはいけないという苦悩を持っていたとしても、被害者遺族がそれを望んでいなければ、やはり出版してはいけないと思うのです。加害者の背負う十字架は重いでしょう。ただ、その重い十字架を背負いながら生きなければいけないと思います。被害者遺族をさらに傷つけてしまうことは絶対にしないということが最低限の守るルールのように思います。

話は変わりますが、交通事故被害。まったく非のない被害者が、どんどんとおいこまれてしまうような状況になることを、脳脊髄液減少症という病を通してしりました。

交通事故加害者は、まず損保会社に丸投げし、被害者との接触を拒否するケースも多々あります。
人間は過ちを犯します。それは誰しもそうなので、法律なり制度なりで処罰や救済策があるのは当然のことかもしれません。
ただ、加害者は被害者の心の痛み、苦痛を負わせてしまったならば、その身体の痛みを想像し、謝罪を誠実に行うことが一番大切なのではないかと思います。
自己弁護や、自己救済がまずありきでは、本当の意味での謝罪とは程遠いものだと思わざるを得ません。

弱い方に寄り添う。辛い方に寄り添う。
この姿勢さえあれば、出版業界は加害者がいくら出版したいと言って出版社に自分の手記を持ち込んだとしても、出版することをしなかったと思います。

この意見には、実際にその手記を読んでから意見をのべたら?という考えをお持ちの人もおられるかもしれませんが、私は一生その本を手にすることはないと思っています。
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