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いい覚悟でいきる 8

それでは、あきちゃん先生のコメントを紹介します!

さて、今回は、「いい覚悟で生きる」の中で紹介されている「日本の病理学の父」山極勝三郎教授についてご紹介したいと思います。

『栄光なき天才たち』(集英社コミック文庫)
『まぼろしのノーベル賞 山極勝三郎の生涯』(神田愛子著、国土社)
山極教授は、例の「脚気論争」に関して、「脚気病論」も著しているんですね。読んでみたくなりました!

「まぼろしのノーベル賞 山極勝三郎の生涯」は、
http://www.kokudosha.co.jp/search/info.php?isbn=9784337331136
第60回産経児童出版文化賞の産経新聞社賞を受賞したなかなかの児童書です。


幻のノーベル賞とは、世界で初めて、人工がんの培養に成功した業績をさします。
しかし、「ウサギの耳にコールタールを塗布する」という彼の研究は、競争者はおろか、同じ研究室の同僚からも揶揄されていたのです。

なんだか、脳脊髄液減少症の現状に酷似していませんか?
新しい研究というのは、特に、日本では、何かしらの横やりが必ず入ります。
私が本症の講演会を初めて市で立案した時も、教育委員会からクレーム?を頂いたくらいですから…

髙橋先生ら、本症を先進的に研究なさっている方々に、大きなエールを送るべきと思っています。
そして、そういうエールが、悪性腫瘍をはじめ、肝炎にしても、HIVにしても、ハンセン病にしても…「患者の権利」を勝ち取ることにつながったのだと思います。

脳脊髄液減少症の保険適用(周知・広報)運動も、歴史に学ぶべきです。


一旦ここまで・・また後に続きます。

脚気論争についてはかなり前ですが私がブログで記事にしています。

http://akkokako.blog99.fc2.com/blog-entry-221.html

HIVについても、過去の記事で川田龍平先生の著書をもとに、
思うところを述べています。

http://akkokako.blog99.fc2.com/blog-entry-272.html


ハンセン病についても、過去の記事にしています。

http://akkokako.blog99.fc2.com/blog-entry-165.html

ハンセンについては、私なりに不勉強でZIIZIIさんと出会うまで
知らないことが多かったので、その後勉強いたしました。
もちろん、経験者のお言葉がなによりなので、リンクされています
ZIIZIIさんのブログを読むことが一番の勉強になりますが・・。

ハンセン病に関しては、医学会だけでなく、
日本の政府が患者にした卑劣な政策に驚くとともに、
今でも故郷に帰ることのできない人々、
骨になっても故郷に帰ることができない人々がいること、
生きている方々でも平均年齢が80歳を超えて
しまっていることなど、知らないではすまされない差別の歴史があり、
生き証人が少なくなりつつある今、私たちはこういう歴史こそ
風化させないことが、これから同じ過ちを繰り返さないことに
つながると感じています。

それでは、あきちゃん先生の記事の続きです。

今日の授業でのことです。
私:「それで、朝鮮出兵に失敗した秀吉は、やがて、どうなったと思う?」
生徒A「死にました~」
ほかの生徒から失笑を買いました。

ここで、若い教師なら、
「お前、ふざけてんじゃないぞ!」などと、一喝するところです。

私は、
「大正解!」「人は皆、いつかは死ぬんだよね。でも、人は、どう死んだかが問題なんだよ、いつ、いかなる場合でも。」
生徒たちは、とたんに静まって、しばし沈黙が続きます。

「死」について、こんなに冷静に語れるようになったのも、私が、5年に一遍、「余命宣告」を受けているからだと思います。

さて、本題です。

「まさか自分ががんになり、余命宣告を受けるとは夢にも思いませんでした。」
がん哲学外来にくる患者さんのほとんどがそう言います。
(私こと、あきちゃんもそうでした。)
「希望を捨てずに頑張りましょう」と周囲の人たちは声をかけたそうです。
その言葉は患者さんにとって、あまりにも残酷に響き、かろうじて張りつめていた細い糸を断たれた思いがしたそうです。

「それでも、あなたには、死ぬという大切な仕事が残ってますよ。」

しばらくの間、その人はうつむいたままでした。
「わかりました。何とか頑張ってみます。」

私も、全身全霊をもって選んだ言葉です。
がんと「向き合う」ことから、がんに自分を「ゆだねる」ことに変えられたとしたら、きっと少しだけ心の深呼吸ができたはずです。

人間は、人生に期待すると簡単に失望するけれども、人生から期待される存在という生き方に変わっていく気づきの瞬間があります。それは、人生の役割、使命感への気づきであり、死ぬ瞬間まで自分を成長させることができるという学びでもあるのです。
間違いなく「いい覚悟で」生きることにつながると私は信じています。
(以上)

この節を読んでいて、私自身の疾病に対する考え方と、非常に近いものを樋野先生のお言葉の端はしに感じました。
そうは、思いませんか? あっこ様

・疾病と「向き合う」ことから、自分を「ゆだねる」という風に考えること。
・期待される存在という生き方に変わっていく気づき。



ここまで・・。

今回は死生観という深いテーマもあります。
患者さんから死んだほうがましという言葉をきいたことがあります。
死を選択してしまった患者さんもいます。

しかし、「死」は自分で選択するべきものではないというのが
私の揺るぎない考えです。
最期の最期まで、神様にのみ「死」をゆだねるべきだと
わたしは思います。いかに生きるか・・
どんな困難な状況にいようが、その状況のもと
自分は生きることを選択した素晴らしい人物だと
裏返せば言えるとも思います。

あきちゃん先生の疾病に対する考え方と、樋野先生のお言葉の端はしに
共通するものを私も感じています。
私も、実は近い考えを持っているように思います。

何かを自分が期待しますと裏切られると腹がたちますが、
自分が自分自身に期待しますと、少なくとも裏切られることは
自分にしかないのです。

人生に期待しますと、他者と比較したりして
裏切られたと感じるかもしれませんが、
自分が自分の人生に期待して誰かと比較しなければ、
期待を裏切るのも裏切らないのも自分です。

今日一日、だれかに笑顔で接しよう。恨み言をいうのを
やめよう。今日一日、小さなことに感謝しよう。

病の時は行動が制限されますから、自分がたてた自分なりの
目標を裏切らないように過ごしてみるのも自分の人生を裏切らない
ことになるように思います。
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