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「なまけ病」と言われて~脳脊髄液減少症~

高橋先生のブログでも紹介されていました
「なまけ病」と言われて~脳脊髄液減少症~
体験談を書かせていただきました。
私なんかよりももっともっと辛い経験をされている方が
沢山いることもわかっているので
私の経験を書籍で紹介してもいいのかなとも思いましたが
私には私の経験しかないので
自分なりに当時を思い返しながら
そして今の気持ちと合わせて書きました。


事故で脳脊髄液減少症を患ったことは
急激悪化を経験した私にとってはとても辛い経験でした。
治療のため東京にやっと辿りついた頃には
目的地まで行くと幾らかかるということを判断し切符を買うことも、
お金を幾ら払わなければいけないということを
考え理解し財布から出すという行動に移すことも
苦痛以外のなにものでもありませんでした。


高橋先生の最初の診察も座って受けることができず
1階から地下階まで歩いてMIRを撮りに行くことが辛くて
MIRの画像を撮るため横になれた時に
ほっとしたことを思い出します。
当時は抜け殻のような体にギリギリの精神力だけ携え
生きていた感じがします。
あの時はあっこの助けがなければ何もできない状況でした。


そんな私でしたが昔の患者さんのことを思うと
7ヶ月という早期発見で治療にたどり着けたことや
家族の協力を得られたことはとても恵まれていたと思います。
病名にたどり着いてもハードルがたくさんあることや
問題がたくさんあることも今となっては十分理解ができ
そんな中で私の経験がどれだけのものかとも思うのですが
一体験談ということで協力出来ることがあればと思い
書かせていただきました。


多くの患者さんの声が表に出ないまま
今もなお涙とともに消えていっていると思います。
無念のまま亡くなられた方も沢山いたと思います。


色々なことを考えながら
私の経験で良かったのかなと思ったりしながら
読みやすく書かれたコミックを読ませていただきました。


多くの涙が流された水俣病に
やっと光が射したことに思いを馳せ
この脳脊髄液減少症にも
早く光が灯ればいいなと思いました。







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補償に光

数日前の高知新聞に補償に光という記事で
交通事故で脳脊髄液減少症になってしまった患者が
11年の歳月を経て保険会社と和解をした記事が載っていた。

事故から1年で補償を打ち切られ
その後診断がつき事故から4年後に提訴、
和解するまでに7年の歳月がかかっている。
体調不良で仕事もできなくなり
未だに後遺症抱えているとのことだった。

記事としてはある程度大きく取り上げられていたのだが
どれだけの人が、この記事の裏にある悲しみを想像できたのかと
複雑な気持ちで私はこの記事を読んだ。

この病気になっても補償はままならないことを知っている。
だからこそ、患者はやむなく裁判をするのだが
過失なくとも裁判では理不尽なことを相手側から言われ
精神的ストレスは最高潮に達しそれでも勝つことは難しい。

こんな目にあった被害者に補償もしないなんて
何のための保険会社かわからない。
患者から言わせればどれだけ補償されても
十分ということはありえないのに・・・。

裏にある悲しみは垣間見た人間にしかわからないのかもしれない。
流した涙を想像できるのは
同じような涙を流した者にだけに宿る力だと思う。
だから私は想像だけはしていかないといけないと思う。

長い年月をかけた保険会社との折衝。
たまらなかったと思う。
保険会社の顧問弁護士軍団と患者が自ら探し依頼した個人弁護士。
もちろん辛い症状を抱える患者と個人弁護士の共同作業になる。
健康体でも慣れない裁判なんて心労が絶えないだろうに
本当に大変なことだったと思う。

光はこういう方の努力によって
少しずつ輝いてくると信じている。
記事の裏にある長年の苦悩を想像し
いつの日か裁判などしなくともよい
世の中になってくれることを祈ろうと思った。



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Author:あっこ&かーこ
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