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原子力と命

ヒトが短時間に全身に放射能 を
浴びたときの致死量は6シーベルトとされ、
短時間に1シーベルト以上浴びると、
吐き気、だるさ、血液の異常などの症状が
表れます。こうした放射線障害を急性障箸と
いいます。

しかし0.25シーベルト以下だと、
目に見える変化は表れず、
血液の急性の変化も見られません。

ところが、そうした場合でも
細胞を顕微鏡で調べてみると、
染色体が切れたり、
異常にくっついたりしていることがあります。

また、顕微鏡で見ても分からないような傷がつき、
その結果、細胞が分裂停止命令を無視して、
分裂が止まらなくなることがあります。

それが細胞のがん化です。

がんは、急性障害がなくても、
ずっと低い線量で発症する
可能性があるのです。

しかも、がんは、進行して見えるようにならないと
検出できませんから、発見まで5年、10年と
長い時問がかかります。

いま日本人の2人に1人ががんにかかり、
3人に1人ががんでなくなります。

なぜこんなに多いのか。
わたしは、アメリカの核実験や
チェルノブイリ原発事故など
で飛散した放射性物質が一因ではないかと
疑っていますが、本当にそうなのかそうでないかは、
分かりません。

この分からないということが怖いのです。

さらに、放射線の影響は、
細胞が分裂している時ほど受けやすいことも
指摘しておかなければなりません。

ぐるぐる巻きになっているDNAは、
細胞分裂の時にほどけて、
正確なコピーを作ります。

糸を切る場合、ぐるぐる巻きの糸より、
ほどげた細い糸の方が切れやすいでしょう?

胎児や子どもにとって放射能が怖いのは、
大人よりも細胞分裂がずっと活発で、
DNAが糸の状態になっている時間が長い
ためです。
 
わたしは研究者時代、先天性異常を研究し、
放射線をマウスにあてて異常個体をつくっていたので、
放射能の危険性はよく知っていました。

1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた時、
わたしはいったい誰が悪いのだろうと考えました。

原子力を発見した科学者か。
原子力発電所を考案した人か。
それを使おうとした電力会社か。
それを許可した国なのか。

いろいろ考えて、実はわたしが一番悪いのだと
気付きました。放射能の怖さを知っていたのに、
何もしていなかった。

そこで、

88年、生物にとって放射能がいかに恐ろしいかを訴えるため、
「いのちと放射能 」(ちくま文塵)を書きました。

原発がなぜダメなのか。

第一に、事故の起こらない原発はないからです。

安全性をもっと高めればよいという人がいますが、
日本の原発も絶対に事故は起こらないといわれていました。
福島の事故で身にしみたはずです。

第二に、高レベル放射性廃棄物を子孫に
押しつけているからです。

処理方法も分からない放射能のごみを残して、
この世を去る。
とても恥ずかしいことです。

10年もしたら、みんな福島のことを
忘れてしまうのではないかと心配です。

原発がないと困る人はたくさんいます。
政治家は電力会社から献金を受け、
テレビ局や新聞社は電力会社の広告を流しています。
原発は地元の町や村に雇用を生み、
交付金などで自治体財政を潤します。

それらは生産すること、お金をもうけることです。
いくらもうけても、原発事故で日本に住めなくなったら
何にもならない。

どうして政治家が気付かないのか不思議です。
わたし一人の力は小さく、原発はなくなりません。

「福島のために何かしたい」とおっしゃる方は
たくさんいます。
ただ、福島産の物を買ってあげるとか、
そういうことでしょうか。


「自分」というものを考えてみる。

生命とは何かをしっかり考えてみる。

そういう、根本的なことが大事な気がしています。


それが福島のためであり、子孫のためになると思います。


繰り返します。

生物と原子力は共存できません。

原発は絶対にやめるべきです。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これを書いたのは柳沢桂子氏です。

激痛を伴う難病にかかり、病院を転々とするも原因不明、
なまけ病といわれ30年以上を苦しみ抜いた科学者です。

苦痛はあまりにも長く続き、彼女は夫に自殺したいと告げ、
夫もそれに賛成したが、娘が必死になって懇願したので
死ぬのを思い止まったことさえあったそうです。

やっとたどり着いた彼女の病名は「脳脊髄液減少症」でした。


原子力のこと・・自分の周りにおこる理不尽なこと・・
加害者でも被害者でもないように思われることについて
誰に責任があるのか・・といわれたとき、
柳沢桂子氏のように、
「わたしが一番悪い」
という言葉は、私には到底言えないと思いました。


誰かを批判することは簡単だけれども、
その原因の一因が自分にもあると考えることは
とても難しいことのようにも思います。

しかし、原因の一因が自分にあると考えることが
実は一番痛烈な反省を呼び起こし
同じ過ちを繰り返さないということに
繋がるようにも思えてきました。


一人の力では解決できないような問題が現代社会には多くあり、
だからこそ「自分のこととして」心を寄せて
深く考えていかなければならないことも多いと思います。


長く理解されない病や命と向き合い続けたからこそ
柳沢氏の言葉は珠玉となって人々の心に響くのだとも
思いました。


長い闘病生活、どんどんと壊れていくからだ
人から受ける憐みに傷つき、しかしその経験でさえ、
自我があるからだと悟り、
内面の世界を掘り下げ、「生きて死ぬ智慧」や
40万以上のベストセラーとなった
「般若心経」現代語訳を書き上げた
柳沢桂子氏。

長い年月の深い悲しみや苦しみのなか
歯を食いしばって生きてこられた柳沢氏の言葉には、
人として本当に大切なことが沢山詰まっているように
思えました。
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思い返せば・・

思い返せば3年前の夏休み。
2009年の夏といえばいっぱい泣いた夏でした。
先が見えなくて不安でした。
目の前にある現実が信じられませんでした。

幼いころ毎年のように田舎の祖母の家の川で遊んだり
真っ黒になって外で遊び、虫をとったり、花火を観たり
どこへ行くにも一緒だったかーこが
信じられないほど弱ってしまって、
ねたきりになりました。

こんなことが人生に起こるんだ・・と正直思いました。

そんなときでも、
言葉だけはマイナスの言葉を使わないように
私は心に決め、自分以上にかーこは辛いんだから
泣き言もなるだけ言わないようにと心に決めました。


ここまで落ちたらあとは上るだけ!
きっと良くなる!
ジャンプする前には大きくかがむよね・・!
心豊かな人って、苦労を経験している人が殆どだよ!
どんな経験も神様からのプレゼント!
良くなってこの病気は治ることを証明しようね!

等々・・とにかくプラス言葉をかけていました。

かーこが完治するまでには2年ほどかかりましたが
振り返ると徐々に回復しそして完治に至るまでには
多くの波も経験し心の浮き沈みも多くありました。

しかし、その過程で素晴らしいご縁に
巡り合えたのも事実で、
袖振り合うも多生の縁というように・・
今生での巡り合いの中で、初めて出会っているのに
初めてでは無いような気持ちになるようなご縁も
ありました。


巡り合えたご縁は、とても大切なギフトだったように
思えます。


実家から歩いて5分ほどの所に住んでいるいとこは、
幼いころ脊椎を損傷し6年間入院しました。
幸い、リハビリの末ゆっくりと歩けるようになり、
結婚出産もしましたが、50歳を超えた今
身体がまたとても痛くなり歩けなくなりました。

昨日電話で母と話したとき、
かーこが通った淡路島に
いとこも通うことにしたそうです。
身体のバランスの調整をしてもらい
一度の施術で痛みがかなり軽減したようで、
とても前向きに継続したいといっているようです。

小学校1年生の運動会の日に突然歩けなくなったいとこ。
それは数日前に階段から落ちたことが原因だった・・。
それから6年間入院し、沢山辛い思いもしたと思います。
良くなってほしいです。

大切な友人から紹介してもらって、そしてかーこに
繋がった淡路島の先生とのご縁が、
また広がることにも心から感謝したいと思います。

素敵なご縁

とてもとても近くに
同じ経験をした方がいた。


私の経験をある会でお話しする機会があり
そのお話を聴いてくださった方から
知人に同じ病の方がいると紹介され
ご縁をたぐり合わせるように繋がることができた。


追突事故後だんだん悪くなったこと
その後お医者さんの前で辛くて泣いていたこと
事故を境に別人になったこと
身体が氷のように冷たくなったこと
激しすぎる症状に生きられないと思ったこと
仕事ができなくなったことや約束ができなくなったこと
そのほかにも沢山・・・
身体と心で感じたことが同じで
話は尽きることなく時間はあっという間に流れ


はじめてお逢いしたのに
ずっと昔から知っていたかのように私は感じた。


自分の周りにこの病を知っている人がいなくて
こんなにわかりあえたのは
今まで無かったとその方から言ってもらえたり
私自身、同じ県で病名にたどりつけた経験を持つ患者さんと
出逢えるなんて思ってもみなかったから
とても嬉しくて出逢いに感謝、
繋げてくださった方にも感謝の一日でした。


そう・・・
こんなに近くにいるのだから
きっと、沢山いるはず。


その方が病名にたどりついた経緯を聞いても
幸運以外の何ものでもなかったから
この高知で髄液漏れという経験を乗り越え
治療できていなければ今頃はここにいないと話す2人が
出逢えたことは奇跡としかいえない。


目には見えないけれどもいまだ症状を抱えている彼女。
それは私の知る多くの患者さんと共通している。
良くなっていって欲しいと心から思う。


いっぽう・・・
幸運をたぐり寄せ病名にたどりつけた私達のほかに
自分が何故こんなに苦しいのかをわからず
ただ孤独と向き合い
ベッドで泣いている方がいるとも容易に想像できた。


幸運がなければ救われないなんて
やっぱり・・・おかしいと思う。





朝日新聞・患者を生きるより

今日の朝日新聞の朝刊を読んでいてドキリとした記事が
ありました。

生活欄にある、「患者を生きる」という記事です。

交通事故の後遺症で定職につけず自分の病自体が
何かわからない札幌在住の38歳の男性のことが
書かれていました。

以下、抜粋して掲載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

札幌在住のSさんは交通事故の後遺症で
円滑な人付き合いが難しくなり、
どの仕事も長続きしなかった。
せっかく見つかった仕事も
1年で自分からやめてしまった。
 事故から11年がたっている。
人間関係を保つのが苦手になったことは、
自分でも気付き始めていた。
ウエーターやスーパーのレジ係などの
接客業を避け、人との対話が少ない仕事を選ぶように
気を付けた。
 食品製造工場、不動産会社、ビルメンテナンス・・・。
障害を知らせずに就職し、周囲を驚かせる唐突な発言などで
自ら居づらい状況を招くパターンを繰り返した。
どの仕事も長くて3ヶ月ほどしか続かなかった。

交通整理の仕事では、無線連絡を聞き逃して
車を通しあわや2台を正面衝突させるところだった。
「ぼうっとしていた。」

かつて、就職支援を断った北海道障害者就職センターに
再度、お願いした。
だが訓練には集中できなかった。

履歴書1枚には書ききれないほどの職歴をかさねても、
定着できた仕事はひとつもなかった。

「でも働きたい。」

どんな障害なのか、どうしたらいいのか糸口を見つけたかった。
北海道大病院のリハビリテーション科で
詳しく検査をしてもらうことにした。

2010年5月に北大病院に入院。
約一か月、脳波の検査や知能テストなどの
ほか作業療法士によりリハビリをすることになった。

人名や道順などの記憶力が低下しているが、
かなを拾うなどの注意力検査は問題なく、
知能指数も悪くなかった。
「むしろ、テストに出てこない部分に
障害があるのが特徴。目に見えない
コミュニケーションなどの社会的行動の障害が
就職で問題になりやすい。
障害についての本人の理解も不十分だ」と
主治医で教授の生駒一憲さんは感じた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この記事を読んで、どのように感じるかはそれぞれだと
思います。でも、この記事を読む限り、脳脊髄液減少症
の存在をこの患者さんはご存知ないように感じます。

私は私の感じたことをご意見・体験はこちらへとかかれた先に
メールしようと思います。

メール先 iryo-k@asahi.com

プロフィール

Author:あっこ&かーこ
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