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風が吹いている

ロンドンオリンピックが開幕されますね。
オリンピック開会式前にスタートしたサッカーの試合では、
男女共の健闘に拍手を送りたいです。

今回はオリンピックのテーマソングが
いきものがかりの「風が吹いている」です。
とても、私の胸に響く曲です。


風が吹いている


2009年、初めて山王病院にかーこを連れて行き、
高橋先生の診察をうけたことを思い出します。

かーこがどんどんと弱っていくという母の言葉と
座ることも辛いというかーこの言葉から、
異様な胸騒ぎをずっと感じていた私は
インターネットで検索して「脳脊髄液減少症」を
みつけました。これに違いないという確信が
私にはありました。

この病をネットでみつけた直後に、
その治療法であるブラッドパッチ治療をしてくれる病院を
即検索し、そしてかーこに電話をした後、山王病院に
ファックスを送りました。

かーこは一日でも早く病院に身体を預けなければ・・
というほど弱っていて、熱海のように数か月待ちは
当時は考えられなく、山王病院が2番目に患者の
多い病院ということさえ知らなかったのですが、
ここなら通えるということだけで、
一日でも早く診てほしいと記入して
ファックスを送って受診の予約をとりつけました。
その後、電話がかかってきて、2週間以内に山王病院で
受診ができることがわかるとかーこを呼び寄せました。

山王病院でもブラッドパッチは1~2か月待ちは当たり前。
先生方は日々多くの患者さんの診察をされ治療にあたっています。

かーこが私の家に来て数日後、受診の日がきました。
丁寧な問診と、私がファックスで送った症状を
みてくださって、かなり脳脊髄液減少症である可能性が高いですが
治療はどうされますか・・と高橋先生はたずねました。

お願いします・・。

私もかーこも即答でした。

先生はカレンダーをみて・・
「次の×曜日(1週間以内)にキャンセルが入っていますね・・・・・。」
とおっしゃいました。

かーこは、高橋先生に

「その日でお願いします。」

と言いました。

やはり病気だったのだ・・その思いと苦しかったことで
かーこの声は震え涙を流していました。

高橋先生は、その場で治療予約をいれてくださり

「こんなにすぐに治療を受けることができることは
あまり無いんですよ・・・風が吹いていますね・・。」

と仰ってくださいました。

私もその言葉に胸が熱くなりました。

「ありがとうございます。」

やっとスタートラインに立てたんだ・・・
その思いで本当にうれしかったです。
高橋先生の「風が吹いていますね・・」という
言葉は、かーこにとっても、そして私にとっても
忘れられない言葉になりました。

言葉がこれほど温かく、不安でいっぱいで凍りつきそうな心まで
溶かしてくれることがあるということを知りました。

医師の言葉は温かくあってほしいです。
そして家族の言葉、友人の言葉・・近ければ近いほど
患者の周りの言葉が温かくあってほしいと思います。

高橋先生はかーこが仕事を再開した時にメールを
送ったときも本当に嬉しいと返信してくださいました。
高橋先生は、お忙しい中講演をされ、この病の啓蒙にも
ご尽力いただいていますことを心から感謝申し上げます。
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ほしいもの

1日だけでもいいから
痛みや苦痛でがんじがらめにされている身体から
楽になりたい・・・。
解放されたい・・・。


いや1日なんていわない。
1時間でもいい。
そんなことを思っていた。
目が覚めると
「ああ・・・やっぱり痛い」
からスタートする毎日だった


寝ているときだけが忘れている時だった。
だから・・・寝ているときだけが幸せだった。
それなのに激痛で飛び起こされたりして
安眠さえも難しくなって・・・。


生きているのかどうかさえ
生きている意味があるのかどうかさえ
わからなくて
悔しくて苦しくて哀しくて・・・。


こういう時
ほしいのは優しさだけ。
毛布のようなふかふかの言葉。
厳しい言葉は要らない。
強い言葉も諭す言葉も必要ない。


泣きたいような辛さの中
笑うことも忘れてしまうから
もし・・・何かくれるというなら
笑いがほしい。


辛いけど笑うことができたら
その笑っている時は
辛いことを少し忘れて
ほんの少しだけ心が元気になれるから・・・。


病気の時は
わがままになったりしても怒らないでいてほしい。
辛いけど頑張っていることを認めて
ふかふかの毛布で包むように
ただ・・・優しくしてほしい。





応援言葉

病気の時、ある方から
「ありがとう」
という言葉を言っていると
それだけで幸せになれると教えてもらった。


感情なんか込めなくてもいい。
ただ・・・「ありがとう」と言うだけでいい。
そして私は呪文のように唱えた。
まずは身の回りにある小さな「ありがとう」から・・・。


当初、寝たきりだったから
まず、シーツや布団に感謝して
シーツや布団に「ありがとう」と言ってみた。


そして、そこから思いを馳せて
世界には寝る布団さえない人もいると思ったりした。
そんなふうに考えれば
この世は「ありがとう」で満たされている。


生かされているだけで
「ありがとう」を沢山いただいていると気付いた。
水も空気も花も植物も全てありがたい。


それなのに人間はだんだん傲慢になって
「ありがとう」が少なくなって
それが「当たりまえ」になって
不平不満を探したり言ったりして・・・。


「ありがとう」に目を向けるか
不平不満を探すかは自分自身だと思う。


「ありがとう」を「当たりまえ」にしてしまう心は
少し残念に思う。
「ありがとう」と素直に感謝することができるなら
多くを味方につけることができる。


実は「ありがとう」という言葉は
自分自身への一番の応援言葉なのかもしれないと思う。


辛い経験も目を向ける方向を変えて
例えばその経験がなければ
出逢えなかったご縁に感謝することで
少しだけ自分が癒されるかもしれない。


心が辛くなる方向に自分の目を向け続けることは
誰でもなく実は自分自身を一番苦しめている。
そうなる気持ちも何となくわかるけど
自分に優しくしないと自分が辛いから
すぐ近くにある「ありがとう」を探して
まずは自分を応援しようと思う。


「ありがとう」の言葉の力はすごい。
感情はこめなくてもいいから
ただ呟くだけでいい。
そしてその言葉に「素直さ」がそれにプラスされれば
その後の自分の人生が輝いてくる。


変えることができるのは
「自分」と「未来」だけだから・・・。



ハインリッヒ法則とヒヤリハット

昨日、私たちのブログにいつも温かいコメントをくださる
あきちゃん先生からハインリッヒの法則が紹介されていました。
その後私自身色々と調べてみると、
昨今起こる様々な「なんか・・おかしい?」と思う出来事は
その前段階で、実は防げたのではないか・・とも思えます。

ハインリッヒ法則とヒヤリハットというのが
検索していたらでてきました。
ヒヤリとした色々なこと
(=あれ・・おかしいな。。と最初に思う感覚)で
大きな事故や事件は予防できるし、予防しよう!
というのです。
ヒヤリハットは「予測」なのだとも言っています。
「予測」なので、それを想定することはできるし、
想定外というのは、
想定できたことを想定してこなかっただけで、
色んな悲しい事件や事故の多くは、
実はヒヤリハットの時点で防げば
防ぐことができるというのです。

色んな「なんか・・おかしいな・・」と思う事件や、
過去の悲しい出来事や歴史
(いじめ苦に自殺・・
また病や差別でいえば、水俣病・ハンセン病など・・)は、
「これってなんかおかしい?」ということを
色んな自分勝手な理由から無視し続けた結果として
具現化された出来事であり、
これらの悲しい出来事と脳脊髄液減少の問題は、
その根底に流れているものに
全て共通する部分があると思います。


私たちは脳脊髄液減少症に焦点をあてて
ブログを書いていますし、
かーこの経験をもとに綴っていますから、
それ以外のことはあくまで想像することしかできませんが、
あの状態で長く生きるのは不可能だったと
かーこは言いますから、
過去の患者さんのことを考えると、
本当に苦しかったし・・悲しかったし・・
辛かっただろうな・・・
究極の苦痛の状態を
耐え忍んでこられたんだろうなと思います。


かーこは100%非のない交通事故に遭い、
ある日突然交通事故被害者になりました。
その後、被害者に冷たい「損保のシステム」を
ありありと見せつけられ、
また加害者からは謝罪がないだけでなく、
事故を人身事故で処理しなかったかーこに対し、
「何故病気でもないのに人身事故にするんだ」と電話があり、
そんな中、どんどんと体調を崩して病院を彷徨い、
やっと山王病院にたどり着いてブラッドパッチ治療・・。


しかし、その治療費用や交通費は事故被害者である
かーこ家族がもたなければならず、
加害者にせめて謝罪はして当然ではないかと電話をかけると、
「損保から会いにいってはいけないと言われているから
会いにはいけない」といい、その後電話をとらない・・・

被害者意識が強いという人もいるかもしれないけれども、
被害者意識というものはこのような経験をしてみて
初めて感じる意識であり、
経験していない人には感じることのできない感覚であり、
私も想像の域をでないのですが、
家族だからかこの状況をそばで見たり、聞いたりすると、
100歩譲っても・・普通に・・しかも・・
「明らかにこれっておかしいでしょ・・?」
と思います。


こんなおかしなことが野放図になっているから
この病の患者さんの中に
悲しい選択をする人がいるのです。
自死をその人が選択せざるを得なかった背景には
やっぱり・・おかしいでしょ。。。。
の積み重ねが必ずあり、
誰も助けてくれない・・
握り締めてほしい手を誰も握ってくれない・・
そういうことの積み重ねが
多々あったのだろうと思います。


ハインリッヒの法則のヒヤリハット
(最初にこれっておかしい・・と感じる感覚)は
経験をしていない人は
ただ自分に置き換て少し想像してみるだけで、
気づくことができると思います。


「なんかおかしいぞ・・」という感覚を
みんなが大切にして
そして、経験の有無に限らず
おかしいことは・・やっぱりおかしいな・・と思った時点で
それを変えていくことができるのでないかと思います。
それは被害にあった本人だけでなく、
その周囲や全く関係ない人でさえ・・
これってやっぱりおかしいでしょ??と思った人が
できることだとも思いました。

十字架

自分が許し
自分が許されたとき
きっと十字架をおろすことができるのだろう。


自分が許すと楽になるというが
許すことがとてもできないような出来事が
自分に起こったとき
その出来事によって他者を許せない自分に苦しむ。
許したほうが楽だとわかっていても難しい。
他者が責任逃れと反省をしないでいると
その苦しめられた事実によって再び自分だけが苦しむ。


一方、他者から自分が許されるという立場に立ったとき
他者が自分のことを時間の経過と共に仮に許したとしても
自分自身が反省し続け
許されてはいけないと思い続けるのなら
その自分の起こしてしまった事実にやはり苦しみ続ける。


許し許されるとはそれだけ難しいことだ。
取り返しのつかないことが起こって
自分が被害者になること
自分が加害者になること
それは・・・そういうことを意味している。


いじめについて考える。
自殺をしてしまった中学生の悲しみと無念さを考える。
その生徒の家族の悲しみ怒り悔しさを考える。
加害生徒と加害生徒の親の現在を考える。


もし自分の子供が被害者になったら
私は一生かかっても加害者を許せない気がする。


心が成熟していない子供が加害者となったこの事件で
自分のした罪の深さに
加害少年達が心の成長と共にいつの日か気付いたとしても
許しを請う相手すらもうこの世にいない。


十字架をおろすことはできない。
それが許し許されるということの難しさだと思う。


それでも・・・
何を言われようとも
非難され罵倒されようが
加害者となったならば・・・
心から「ごめんなさい」と謝ること
たとえ許してくれなくても
心の底から「ごめんなさい」と謝り
二度とその過ちをその後の人生において繰り返さないことが
大切だと思う。


開き直ったり逃げたりしては絶対いけない。



いじめを考える(2)

いじめによって尊い幼い命が失われました。

今、マスコミが我先にと
学校の隠ぺい体質と保身をとりあげ放送しています。


私は、ニュースをみながら
自殺をしてしまった子の無念さを痛いほど感じ、
怖かっただろうな・・苦しかっただろうな・・と
言葉にならない気持ちになります。
また・・・ご両親のことを考えると胸が痛みます。


いじめをした少年達は非難されるべきですし、
当然の償いはしなければならないと思います。
しかし・・・
いじめをした少年たちを吊し上げ痛めつけることは
本当の意味での問題の解決にならないとも思います。


なぜなら、そういういじめをする少年を育てたのも
実は、社会と彼らを取り囲む大人であるからです。


こういう事件がおこってしまったのは、
自分には全く関係ない・・、
関わったら厄介なことになるから
見て見ぬふりをする方がよいとする社会が
背景に必ず存在すると思っています。


未だ明るみにでていないけれど
あらゆるところで存在するいじめのような状況について
社会全体が真剣にそして猛烈に考え反省し
命を投げ出してしまった少年の死を
決して無駄にすることなく、
胸に刻み込んで生きなければならないように感じます。



下記は平成11年10月19日ブログの記事です。
いじめは、自分の知っているところ・知らないところ・
知ってはいるけれど関わりのないところ・・
至る所に起こっています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

学校でのいじめは子供たちや
学校だけのの問題ではないと思っています。
大人の問題です。
なぜなら、子供の社会は大人の社会の縮図だからです。


いじめは、大人の権威がある世界でも、
政治の世界でも会社でも日常茶飯事に行われています。


子供たちにいじめはだめですよ・・!
と他人事のようにいう前に、
大人は自分や社会がいじめをしていないか・・
考えてみないといけないかもしれません。


自殺してしまう子供がいることを考えると、
それほどまでの陰湿ないじめが
子供の世界にあることを想像してしまいます。


でも、それも大人の世界の縮図だと思っています。


なぜなら、子供は親の背を見て育ち、
大人の行動や言葉を純粋に聞いて育っていると思うからです。


一生懸命10年以上向い風を全面に受けながらも、
率先して脳脊髄液減少症患者を治療してくださった
先生の集めた33症例や、
先生の推奨するRI脳槽シンチがばっさりと却下される
診断基準をみても・・・


私には・・権威ある世界での 
いじめ のような気がしてなりません。


脳脊髄液減少症患者は、
ひどい症状を抱えながら医師を転々とし、
病の壮絶さから、仕事を失う人も少なくありません。


病名にたどり着くも、保険適用外の一回何十万もの治療を
何度も自分で支払わなければならず、
たちまち生活苦に陥ります。


何人かの患者さんが自殺しています。
病の苦しさから・・?
それもあると思います。
でも・・社会からも国からも医療からも
「見捨てられた」と感じた悲しみの方が
大きいのかもしれないと思います。


子供が陰湿ないじめに耐えられないで命を投げ出すのと、
脳脊髄液減少症患者が自殺するのは
同じなのかもしれません・・・。


子供の自殺を予防するための政策を作るのなら、
小手先のものでなく、
大人が自分にもその責任の一端があると思って
作って欲しいです。


そうすることで、
心がこもったものができると思います。


以前、議連総会に参加したときに
民主党の議連事務局長である
石森議員(脳外科医)が


「皆さんを苦しませたのは、交通事故はむちうちだから
 整形外科へと考え続けた脳外科医である私たちに
 『責任』がある」

とおっしゃっていました。


患者が苦しんだのは、
患者の言葉に耳を傾けなかった『医師に責任がある』と思って、
患者を救う診断基準を作ってほしいと思います。


国も、同様です。
国には責任がないという考えが、
保険適用を先延ばししても仕方がないという考えに繋がります。


有権者の声を無視し続けた『責任』を
議員自らが自分のこととして感じてほしいと思います。


基準をもって患者を切り捨てることには
私はどうしても我慢ができません。
弱いものいじめは止めましょう。


最後に命について自分の考えを書きます。


人は死んでも魂は永遠に生き残ると
私は思っています。


限られた時間をどんなに苦しくとも生き抜いてこそ
その人の魂は磨かれると思います。苦の先にあるものは
苦ではありません。


子供も大人も今あるかけがえのない命を大切にし、
どんなに苦しくても投げ出して欲しくないと思います。


相互理解

どういう事柄でも良い面と悪い面があるように
同じ言葉でも、時と場合で
良いように受け取ることができる時と
悪く受け取ってしまう時があると思います。


私は、経験をしていないので
家族の立場で感じたことしか
語ってはいけないとも感じます。
家族の立場で、自分が一番難しかったのは
言葉がけでした。


本当に悪気がなく何気なくつかう言葉や
元気づけたい良くなってほしいと思ってかける言葉に
かーこは深く傷つくことも実際あり、


それでは言葉をかけないほうが優しさなのかと悩んだり
私はいったい・・それでは、どうすればいいの・・?
とイライラしたりしたこともあり、
振り返ると反省することが多くありました。


経験がないとそこがどうしても解らず、
その時に相手がどうしてもらいたいのかを
推し量り想像するというのは、
とても難しかったように思います。


自分にとって優しさだと思っていることをすればいいとか、
自分がしてもらいたいようにしたらいいと言う人もいますが、
経験がない自分がしてもらいたいことが、
壮絶な経験をしている本人がしてもらいたいことと
実はまったく違うと気付くことは、
言葉に出して相手から言われない限り解らず・・
良かれと思って言っていることやしていることが
違っていると気付いたときは相当落ち込みました。


かーこが絶不調の時、
そばで話しかけていて、その後、

「あの時の話しかけてくる私の声(音)さえ
聞くのも具合が悪く辛かったので
そっとしてほしかった」

と後から良くなって言われたこともあり・・、


正直その時には、
自分は何かをしてあげたいし
不安だろうから一人にしてはいけない・・
という想いでしていたのだけれど、
それは自分の勘違いで全く違ったんだな・・
と思ったこともありました。


家族が理解してくれない・・
と脳脊髄液減少症に関してはよく言われますが
大なり小なり、家族側は理解しようと努力しても
経験をしていないから解らない部分が
でてくるのだとも感じています。


相互理解は本当に難しいと思います。
お互い健康なときすら、少しのボタンのかけ違いで
言い争いになったりするくらいですから、
お互いが違う状況だったり、
症状など想像がつかないような場合には
本当に難しいなと思います。


同じような経験をしていないと
自分の経験値からの想像でしか
他者の苦しみを理解することができないし、
脳脊髄液減少症など患者が抱える理解しがたいような症状などは、
理解することは不可能なんだ思います。


その一方、それを承知で接することができると、
色んな意味でお互い少しだけ
楽になるかもしれないなとも思いました。

七夕に願いを・・・

自分のことを祈ると
神様はなかなかきいてくれなかったりするらしい。

けれども誰かの幸せを心込めて祈ると
神様はきちんとききいれてくれるという。

七夕の今日

「世の中の全ての理不尽な出来事が
 良い方向に導かれますように・・・」
「理不尽に見舞われた人達が
 幸せになりますように・・・。」

と祈ろうと思う。

自分に起こった試練を受け入れるには
せめて・・・
他人からその試練を認めてもらえる環境がいる。

「大変だったんだね。」
「よく頑張っているんだね。」
「辛かったんだね。」

こんなふうに声をかけてもらえたら
辛くても何とか耐えてみようと思うだろう。

自分ではめいいっぱい頑張っているのに
もっと頑張れ!とか
そんなこともできないの?
いつまで病気なの?
なんて言われたら
自分に降りかかった試練にとても耐えられなくなると思う。

せめて・・・
わかってほしいな・・・。
辛いってことを・・・。
理不尽で悔しいけど精一杯頑張っているってことを・・・。

昨日まで今日の天気予報は雨だったけど
早朝、土砂降りの雨の後
午後はからりと晴れた。
こちらでは久しぶり青空を見た。

七夕に願いをこめて・・・。



無理解から理解ある社会へ

昨日フジテレビのスーパーニュースで
脳脊髄液減少症がとりあげられました。
患者さんやご家族が勇気を出してご自身の
経験を語ってくださったことと、
マスコミが取り上げてくださったことに
心から感謝します。


ところで、かーこは早朝の会合に毎週参加しているようで、
そこで心に残った色んな話を私にも電話で教えてくれます。
かーこ自身も以前自分の体験を何度か
その場でお話したことがあるようです。


先日は、交通事故で一瞬にして
首から下が麻痺してしまい車いすになった方の話を
教えてくれました。


その方は、ある日突然事故に遭い、
そして入院先で同乗者の親友の死を知り
自分の身に降りかかった変えることのできない
現実に向き合わざるをえなくなりました。
激しい葛藤の末、それを乗り越え
自分の経験から社会へ還元できるものを見出し
ご活躍されていること、
そこに至るまでの経緯や、
今後の希望などを語ってくださったとのことでした。


その方は、

「一度だけだから我慢ができる。
 もう一度同じ経験をはじめからしろといわれたら、
 もう 耐えることができない。」

とご自身の経験からしみじみと語っていたといいます。

かーこも私に、

「脳脊髄液減少症の最高に苦しい時の経験を、
 もう一度はじめからすることになったら
 二度は耐えることができない・・
 あれは、生きるか死ぬかの自分のギリギリのラインだった・・」

と言っていました。


外見では解らないと脳脊髄液減少症は言われますが、
私は空港でかーこに久しぶりにあったとき、
足が立たず座り込み、
ヒョロヒョロになっているかーこを見て
びっくりしました。


しかし、
患者さんのなかには外見では解らない方も沢山いらっしゃって、
その方は大丈夫なのかと言われればそんなことはなく、
多くの患者さんが、少なくとも一度は
死を覚悟されるというほど壮絶な症状を抱えていると
ききますので、
ギリギリのところで歯を食いしばって生きている人が
沢山いると思うと、
その状態から少しでも良くなってほしいと
願わずにはいられません。


経験をしていないと、解らないことだらけです。
外見でぱっとみて、健康そうな人が
そんな症状を抱えていることなど、
健康な人には知りようがありません。
だからこそ、
私は経験をした人が伝えることの大切さを感じます。


もちろん、伝えることが苦痛になってしまった場合には
強要はしてはいけないとも思いますが、
やはり伝えてくださる患者がいるからこそ、
想像力を働かせて、心を動かす人が増えるのだと思います。


今までもそうですが、マスコミへ患者さん自らが出て、
体験を語ってくださることは本当に大きいと思います。


無理解を理解ある社会に変えるのは、
声を上げたくても上げられない患者さんや
悲しくも命を投げ出してしまった患者さんに代わって、
声をあげられる当事者が声をきちんとあげて
伝えることだと思います。


良い方向へ変えていくことができるのは、
一人一人が、これは自分だけの体験だから・・
としり込みすることなく
やはり自分の体験を「伝える」という努力を
続けることかもしれないとテレビをみながら思いました。



想像力

少しだけ・・・
ほんの少しだけの時間でいいから
何かしら感じた時、相手の立場に立ってみることは
生きていく上でとても大切なことだと思う。
擬似体験はできないけれども想像してみる。

加害者と被害者がいた時
どちらの立場も考えてみる。
そして・・・
そんな時はより弱い立場の人の事を念頭に置いた上で
どちらの立場にもなってみる。

故意なく加害者になった立場から言えば
悪気はなかったとか、
こんなことになるとは思わなかったとか
言えるのかもしれない。

でも・・・
他に被害を与えてしまったという事実がある以上
身を切るような思いで与えてしまった被害を想像し
そして最低限、心からの侘びの気持ちを持ち続ける必要が
あるのではないかと私は思う。
そして・・・その被害に対してできる限りの補償をすることも
詫びの心の表し方としてとても大切な事だと思う。

心からの謝罪があれば私もあんなに苦しまなかった。
受け入れがたい事実が自分に降りかかって
加害者は害を与えておきながら
自分には関係ないかのごとく逃げた。

自分に起こった理不尽な出来事を
どう自分で処理したらいいのかわからず
心の落としどころを悔しさで身を震わせながら探した。

とてもとても辛い時期だった。

その一方で・・・
私はその理不尽な被害に遭ってはじめて
そういう方々が世の中にはとても多いことを知った。
そして、耐え難い苦痛を味わいながら
歯を食いしばって生きている方々がとても多い事実に
遅ればせながら気付かされ衝撃を受けた。

もし自分だったらどう感じるかということを考えて
自分の行動や言葉をコントロールすることが
生きていく上でとても大切だと思った。

また・・・何かしらの被害が自分に降りかかった時は
自分と他者を切り離して
自分の心が一番穏やかになる道を探してみると
自分が楽になれることも知った。
そこに行くには時間が必要で時間が薬になる。

忘れるわけではなく
どんな出来事が起こっても
色々な立場に立って相手を想像することが
とても大切なことだと知った。

それは、自分が一番自分らしく生きるために
そして・・・
自分にかかわる全ての人を大切にするために
私が歩まなければいけないと思う道であり
そういう生き方をしていこうと思う。



プロフィール

Author:あっこ&かーこ
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