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目標を掲げる

遠すぎる希望や目標は時にはストレスになります。
しかし、頑張っても手に届かなない目標ではなく
届きそうな目標を掲げることはとても大切だと思います。

そして、その目標を達成するために、
自力だけではどうすることもできなくて
他力も必要なら、
すんなり誰かに助けをもとめる
良い意味での「したたかさ」
を持つことも大切だと思います。


協力してくれる人は、求めれば
きっといると思います。
一人で頑張らないことです。


先日、伊織さんが熱海で治療されるというので
どうしても会いたくなって会いに行きました。
赤ちゃんが欲しい・・・
沢山悩まれた結果・・それでも欲しい・・
そういう思いを達成された伊織さんに
会ってみたかったんです。


「今年こそ赤ちゃんを授かるようにって
言ってたら本当に来てくれたね!
有言実行だね。」

って笑っていうと、

伊織さんも笑って、

「愛君がいるから死にたいって
もう思わなくなった」

って言葉を詰まらせて言っていました。



その言葉の奥に、
どれほど沢山苦しんで悩まれたのか・・という
ことも感じ取ることができました。



人は希望があると強くなるし、
目標があると変わるんだなって
感じました。


伊織さんが遠くから
熱海まできて治療されたのも、
家族のためにも、
もちろん、ご自身のためにも
良くなりたい
その一心だと思います。
すばらしいと思いました。



以前ある大切な友達に、
かーこが良くなったらどうしたい?
って聞いたら


「お風呂に入りたい」


っていっていたというのを
聞いたことがあります。


健康なら当たり前にしていることを
希望にしている目標にしている人は
沢山います。

それは、ずっとそれを我慢している
ということです。
当たり前ってことは
この世に存在しないんだな・・と
思います。


私は、彼女が本当にその目標を
叶えてほしいと思います。

少しでも良くなって、
お風呂に入るのを目標にして
それをクリアしてほしい・・
そしてそれができたら、

また少し手の届く目標を作って・・
そしてそれをまたクリアできるように、
それまでは色んな人の助けを
遠慮なく借りて達成してほしいと思います。


良くなって、大好きな人にご飯を作ってあげたい・・
良くなって、少しだけ座りたい・・
手に届かない目標ではなく
今の自分が手に届きそうな目標を
自分で掲げて欲しいと思います。


かーこも寝たきりのとき、
座ったり歩いたりしたいな・・という
ことを言っていました。
こんなになるなんてね・・と
悲しそうな表情だったのを思い出します。


自力で難しかったら
誰かの笑顔をみること、
誰かを笑顔にすることが
自分の喜び・・と語るような
沢山の優しい人の助けを
どんどんと借りてほしいと思います。


先日ご紹介した
一分で感動の今日の話の中に、
あるがん患者さんのお話しが
紹介されていました。

その患者さんは、娘さんの卒業式まで
生きたい・・そういう希望を捨てないで、
その通り、余命をどんどんと
ご自身で延ばされたというのです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「例えば希望を持って生きている人のほうが、
がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が
活性化するという研究も発表されています。

    中略

「希望」が体の中にある見えない3つのシステム、

内分泌、
自律神経、
免疫を活性化

させたのではないかと思います」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


絶対に治らないというようなことを言われたり
あと何か月の命ですと
死の宣告をされたような人が
まったくその記録を更新されて
生きている話はよくあります。



そこに共通するのは、本人の希望や目標が
あるのだと思います。


その希望や目標が、目に見えない自分の細胞へ
働きかけているのだと思います。

医学のことはわかりませんが、
科学的にもデータとしても
証明されているというのは
とても興味深いことです。


どんな小さな目標でもよいので、
まずは、自分なりの目標を
持ってほしいなと思います。


その目標の先には、
また違ったものが見えてくると
思います。
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報恩

不思議な経験を病気の時はいくつかした。
その一つは・・・
ブラッドパッチをして退院し
あっこの家に戻ってのことだった。


私は衰弱しきって激しすぎる症状に完全ダウンし
身体が完全に別物で鎧を着ているかのごとく重く
頭を枕のどこに置けばよいのかもわからないほど辛く
何が何だかわからなくて発狂しそうなとき
あっこがよく隣に来て手を握ってくれた。


ある時から・・・
ピリピリとあっこの手から電気が流れ始め
まるで携帯電話の充電をするような感じで
エネルギーが空になった私の身体に
その電気が流れて入ってきた。


あまりの電流で私は感電してしまうのではないかと
驚くほどの力だった。
ヒーリングというものなのだろうか?
とにかくすごい力だった。
あっこが手を放しても暫く私の身体を電流が流れ
それが何ともいえないほど心地よくて・・・


私が衰弱しきっていた時だけ
あっこに不思議な力が芽生え、
そしてその力を私にくれた。
決まって私にその力をくれるとあっこはぐったりしていた。
今、手を握ってもその力は無い。
あれは何だったんだろうと思う。


あの時はホント助けてもらったと思う。
双子で良かったと心から思った。


「かーこ、せっかく双子に産まれたんやもん。
88歳まで一緒に生きようよ。
88って末広がりでいい数字やしね・・・!」


生きていることがとてつもなく辛い時だったので
あの時にそう言ってくれて
そんなにも長生きするのなら
絶対良くならないといけないなって思った。
 

弱っていた私は他力を沢山もらって
自分で這い上がれるところまで導いてもらった。
そして他力を与えてくれる皆に心から感謝した。


感謝が他力を引き寄せ、
感謝が応援を引き寄せた。


病になると衰弱して
自分ではどうすることもできなくなる。
そんな時こそ素直になって
甘えさせてくれる人に甘えて
他力に感謝してその力をいただき
自分を充電すると良いと思う。


いつの日か自分が元気になって
誰かの他力になれるようになれたら
少しだけ頂いた他力の
恩返しができるんじゃないかと思う。



理不尽な対応を受ける(一分で感動より)

「理不尽な対応を受けるのは
大切なことなのだ。
なぜなら人は理不尽な対応を
受けることによって
人間観察眼が磨かれるからだ。
人生を成功させるか否かは、
人間をどれだけ知ることができるか
理解できるかが決定打となる。」



これは吉永圭佑さんが毎日綴る
「1分で感動」で紹介されていた
話の中の一説です。

そして、また下記のようにも述べています。


『人生を成功させるか否かは、
人間をどれだけ知ることができるか
理解できるかが決定打となる。
どんなにカチン!と来ることがあっても、
超(ちょう)上から目線で
今の状況を俯瞰(ふかん)して見るのだ。
すると相手の言動にはすべて
理由があることに気づかされる。
理不尽な言動を発信する人間には、
何かに脅えていたり
強烈な劣等感を持っていたりするということに
気づかされる。
それに気づくと相手に同情できるようになり、
「自分はこんなことをするのはやめておこう」
と心底思い遣れる。
理不尽な言動を発信してくる人に対する
最高の復讐とは、
負けないように理不尽な対応で
仕返しすることではない。
同情することが最高の復讐になるのだ。』



理不尽なことに対し、
怒り狂いそうになることはありますが、
「理不尽な言動」を凶器に例えると、
その差し出された凶器を自ら受け取って
そして胸を刺すのか、刺さないのかは
自分にかかっていると語る
アンソニーロビンズ氏
言葉が、私の心にずっと
残っています。


刺して痛く苦しむのは、
「理不尽な言動」(=凶器)を
(手に)している人ではなく、
それを悔しくも受け取ってしまった
自分です。胸に刺すか刺さないかは
自分にかかっています。



かーこも、加害者の不誠実さに怒り狂い、
そして具合まで絶不調に落ち込み、
心身ともにボロボロに疲弊してしまった
ことがあります。


だから、その経験が必要だったとも思います。
その経験をしたことにより
手放すことを選択できたからです。


理不尽な言動をされると、人間観察力が
増える・・これはその通りだと思います。
とくに、弱者の気持ちが深く想像できる。


人生の成功・・ある人にとっては、出世すること、
ある人にとっては、有名になること、
ある人にとってはお金を沢山もつこと・・
価値観が人の数だけ存在するように
そういう価値観はあるかもしれません・・・。
強者が弱者の気持ちを深く理解することは
至難な業だと思います。


しかし、人生の成功が、この話で紹介されたように、
どれだけ色んな人の心を想像して、心を痛めることが
できるか・・ということだとすると、


理不尽な扱いを受けた経験者なら、
自分の経験を重ねあわせることができ、
経験をしていない人よりも
誰にも負けないくらい、
弱者に寄り添うことができ、
どんな名誉や地位がある人よりも、
人生の成功者なのだと思います。


そういう意味では、
自分の意にそぐわない
理不尽さを味わうこととなった経験は
マイナスではなく、自分を高める
プラスの出来事なのかもしれません。


人はジャンプする前大きくかがみます。
どんな出来事にも必ず意味はあり、
それをプラスに意味づけするか、
マイナスに意味づけするかは
その人その人にかかっていると思います。

自力+他力

もし、自分が何かをしようとするとき
「できる!」
と思ってやるのと
「できないかもしれない。どうせ・・・・」
と思ってやるのとでは
結果は前者の方が良いと聞いたことがあります。


「どうせ・・」
という言葉があまり好きではないのは
その言葉の後には何か否定的なものがついてくるからです。


ブラッドパッチで死にそうな状況から上がったあと、
かーこは残存症状をどうにかなくすために、
御縁があった淡路島に通い、
1年以上かけてすっかり完治しました。


淡路島での治療は、好転反応も最初はきつかったのですが、
ご縁と先生のお人柄とそして先生のお話しが
しっくりと自分の心に合い、
治療を信頼していたことと、
少しずつ効果を積み重ねていったことも
気持ちをプラスに向け続けることができたといいます。


好転反応がきつかった時も、
好転反応をマイナスにとらえて治療をやめていたら、
今の状態ではなかったかもしれないので・・
ものごとをプラスにとらえ継続したことも
良かったと感じました。


かーこの後で、かーこの受けた施術に興味を持った方が
継続して治療され完治されたようです。
そして、それを聞きつけて
また完治にむけて託している方もいます。


不安はきっとあったと思いますが・・
「どうせ・・」
という気持ちからスタートするのでなく
「きっと・・・かーこさんが治ったんだから自分も治る」
という気持ちでスタートしていることと
好転反応が辛かったときも
気持ちを上げるようにも努力されている姿に
心から応援したくなります。


自分の心のとらえ方はとても大切だと思います。
私は経験していないから
客観的にかーこを観察して思うことしか
綴ることができませんし・・


他力
(山王病院の高橋先生や淡路の先生
そして励ましてくださった友人や家族)
のおかげで完治したとかーこは感謝していますが・・、


私からみると、
本当にかーこは自力で努力したなと
感じずにはいられません。
もちろん、波はありましたが、
波にのまれないように、負にならないように
心のコントロールを努力していました。


そして「ありがとう」という感謝の気持ちを
周囲にもっていました。


何か治療でも施術でもする場合
自力と他力を強力に結び付けて自分を上げることは
とても大切ではないかなと思います。
どちらが欠けても効果は100%には至らないと思います。


どの治療が自分に合うかわからないので
合わなかった治療は自分が合わなかっただけで
他人が合わないともいいきれないので・・


悪口を言ったり、否定したりせず、
御縁が無かったんだと思えばよいわけで・・・・


その人その人信じた治療をみつけて
良くなってほしいと思います。


そして、完治したり、良くなった元患者さんは、
情報発信して何によって良くなったか・・
そういう情報をどんどん共有していくことで、


今苦しんでいる患者さんの選択肢も
増えるのではないかな・・って
思ったりします。


カルテの裏側

医師として人として水俣病に向き合った
原田正純氏の50年

Eテレアーカイブ深夜番組をみて
脳脊髄液減少症とあまりにも似た現実。
歴史は何度も繰り返し
学ぶべき道理を人類に訴え続けている気が私はした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

原田正純氏は言う。


医師は一枚のカルテの裏をどれだけ見るかによって決まる
色んな形で患者と付き合うと
カルテの裏にあるカルテに書ききれないものがあり
それが自分を捕まえて放さないのだと・・・。


申請者の爆発的増加に困惑する認定審査会。
審査基準を厳しく作ることで患者をミニマムに抑えようとする力。
患者を診てない、現場を見てない医師が
机上の理論でその基準に合わないものがあると
患者が嘘を言っているのではないかと述べる。


自分は患者の顔がわかるから馬鹿なことを言うなと異論を述べ
こうして認定の保留患者が増える。


救済のために作られたはずの審査会が
患者切り捨てのための審査会になっていた。


医師と患者の関係は
治らない病気を前にした時どうするかだと思う。


医学は中立であるべきという。


では中立とは何か?
圧倒的に強い国(権力)と弱い患者がいたとき
医学の中立とは弱い患者にたつことだと原田氏は言う。
それを阻害する巨大な力(権力)があるとしても
医師は弱い側(患者)に立つべきだと・・・。


埋もれたままの被害者が沢山いる。
差別を恐れ隠している人が多い。


曇りのない原田氏の心が
患者の魂の救済にどれだけ貢献したか・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カルテの裏側に患者の数だけドラマがある。


諦めなければならなくなった夢、人生。
そして傷つきすぎた心。
計り知れない痛みや苦しみ
何年も何年も無理解にさらされた孤独の悲しみ


「助けて・・・」と声を上げで叫ぶこともできず
心の中で
「神様・・・お願い、助けて・・・。」
と声にならない声で叫ぶ。


仕事を失い、家族を失い、お金も底をつき
ただ自宅で横たわることしかできなくなった方や
命を諦めてしまった方・・・。


そんなことはカルテには載らない。
カルテの裏側に本当のこの病気の姿がある。


原田正純氏のご冥福を心よりお祈りします。


愛読書から

私の愛読書の一つに
生きがいの創造があります。
シリーズ化されているのですが、その中の
生きがいの創造のⅡの中で、紹介された
「病院から逃げてきた少女」の話のあらすじ
について紹介します。

ある可愛らしい少女が著者のもとに
やってきます。少女は、誰も自分のことを
信じてくれないから修道院にいきたい・・と
半狂乱の状態で著者に訴えます。
彼女の手には「生きがいの創造」の本が
握り締められていました。

彼女がいうには、自分の言うことを
家族も病院の先生も誰も信じてくれない。
ずっと病院に閉じ込められて、もう
自分は誰も信じられない・・・
先生(著者)と神様しか
信じられないと泣くのです。

著者は、修道院といわれても
・・・・・どうしようかと
戸惑います。

未成年の少女が病院から逃げてきた
とすれば、その子を保護者のもとに返さないと
誘拐のような話になっても困る・・・・


そういう状態で、困り果てていたのですが・・、
やはり・・彼女の言うことを信じてあげられるのは
それでも、自分しかいない、だから彼女は目の前に
現れ自分に救いを求めている・・

もし、彼女を警察に突き出せば、彼女は
最後の救いを失い、人間を誰も信じられなくなる・・
・・戸惑った後、彼女の言うことを
聞き入れ、教会を紹介します・・。


彼女の話をホームページで紹介したら、
あるお母さまから手紙が届きます。

自分の亡くなった娘とその彼女が重なる・・と
いうのです。その娘さんはある病気になり
どんどんと症状が悪化し、最後には誰にも心を閉ざし
精神病棟でなくなったというのです。


話は長く続くのですが・・
全て読むと、これは全くの作り話だと
思われる方も多いと思います。
フィクションのようなストーリーです。


ただ、私がなぜこの話が心に残っているかと
いうと・・、



誰からも自分の言っていることを信じてもらえず、
そして精神病棟に閉じ込められてしまい・・


脳脊髄液減少症をわずらった
漫画家のまつもと泉先生は、
精神病棟から雪の中逃げ出した・・と
テレビでおっしゃっていましたし・・


もしくは、家の中や病院や学校でも
誰も自分のいうことを信じてもらえず、
身体と心が苦悶の末、
失意のもとに命を絶ってしまった方が
脳脊髄液減少症の患者さんの中にも
まちがいなく存在することを知り、

彼女の心の叫びと患者さんの心の叫びが
重なったからです。



生きていることがこんなに辛いんだ・・
とかーこはいっていました。


利権がどれほどのものでしょう・・。
利権争いには虚しさすら
感じます。


病気は基準で縛られるものではありません。
患者は嘘をいっていません。
だから、負けないでほしい。

そして、生きている限り現状が変わる可能性が
あるのだから、信じて生きて欲しいです。
負けないで、生きぬいてほしいと思います。

私の許し

知人が類焼の被害に遭った。

仕事に出ていた時に隣が火事だよとの連絡が入り
急いで帰ってみると
消防の方が土足で自宅に入り込み
隣から大きく燃え広がることを防ぐために
屋根に穴を開け消火の為家中水浸し。

全焼を免れたがとても住める状態ではない。

お見舞いに伺うと・・・
「私、何にも悪いことしてないのに
 全部無くしたよ・・・。」
「酷いよね、部分焼だから保険はほとんどおりないみたい。
 どうしよう・・・。建てて5年しかたってないのに。」
「隣の方からも何もできないって言われて
 自分がこれから全部負担して直していかないといけない。
 泣きたいけど今泣くと泣き続けそうで
もう少し泣かないで頑張る。」
「私・・・可哀想だよね。」

溢れるように言葉がでる。

理不尽な被害を改めて考えた。
補償と謝罪のない理不尽な被害に遭った当時の自分を回顧した。

私には聞いてあげることしかできない。

皆・・・他人事と忘れていく。
自分に残る悲しみ悔しさと経済的負担。
優しい言葉も次第に少なくなる。
何年も何年も残る自分自身の負担。
肉体的・精神的・経済的なもの。

ゆるすということ・・・
この記事をあっこが書いてくれて頷く自分がいた。

加害者を許したか?ときかれるとそうでもない。
では、許してないのか?ときかれるとそれも違う。
自分が楽になるため自分のために

私は手放した。

とても時間がかかったけど
自分の身が壊れそうになるほどの怒りと悔しさで震え
穏やかさを失った時もあったけど 
自分が他者から苦しめられた事実よって苦しみ
それによって
自分の中に芽生えた他者への怒りで今度は自分が苦しむことに
心身が疲れ果て
そして・・・手放した。

時間とともに心の平安に辿りつき
あとで強さがプレゼントされた。

時間はかかるかもしれないけど
きっと彼女も乗り越えられると思う。
自分の経験を回顧しながら
ただ・・・私は心を寄せ彼女の話を聞いた。




ゆるすということ

ゆるすことが大切
ゆるすことで自分が楽になる・・


そういう言葉を簡単に使うことが
できないような被害にあったとき・・


ゆるすということの深い意味を考えさせられた。


飲酒運転など明らかに、
まったく自らに非がない事故に
たまたま自分が遭ってしまい、
その後の人生をまったく変えられてしまったとき、


その事故に直面せざるを得ない被害者
そして、またそれを支える家族の葛藤は
謝罪というもののあるなしによっても
心の置き所に大きく差がでてくることも知った。


それでは、本当の謝罪とは・・?


金銭の問題で簡単に片づけられるものでもないと私は思う。
でも、今の社会は金銭によって
それを償うというシステムが一応あり、
(脳脊髄液減少症はそのシステムすらほとんど適用されないが・・)


でも・・
本音をいえば、被害に遭ったものや家族は、
お金なんかいらないから、
もとに戻してほしいという強い気持ちがこみ上げてくる。


裁判は正義をはかるところでは無いことも知った。


ある弁護士が自分の妻を殺害されて初めて被害者の心を知り、
そして、裁判がいかに被害者を無視した形でなされているか・・と
そのときに初めて知ったというのをテレビで言っていた。


その弁護士は、被害者救済にむけて裁判の公開など、
その後自らの弁護士人生をかけて亡き妻の為、
また自らが弁護士として
何ら疑問さえ持たなかったことへの罪悪感から、
裁判のシステムを変更させるための活動をしたようだ。


ゆるすこと・・
これは、罪を許すようなことではなく、
自分の心をゆるめることのように私は感じた。


かーこの加害者は謝罪がなかった。
そのことでどれだけかーこが苦しんだか・・。
そして、それを周りでみる家族も深く傷ついたか・・。


その事実に縛られ自分を疲弊させるより
忘れるでもなく・・
手放すこと・・
自分の心に折り合いをつけること・・・
それが、かーことそして私たち家族がした
「ゆるし」だった。


「正義」が人それぞれちがうように
「ゆるし」の定義もみんな違うと思う。


「正義」は、
ほかの誰でもない自分の良心が正しいと思うこと・・
それが正しいのであり、
裁判の結果などではないということ・・


そして、「ゆるし」・・においても
理不尽な被害をうけた被害者にとっては、
簡単には事実を受け入れることはできなくても、
自分の心を少しでも楽にすること・・・


そのような状態になるには
模索する時間も必要だけれど、


とにかく、
心は体と密接にリンクしているので
自分を苦しめたもののために、
それ以上自分が苦しまないように
手放すこと・・


心をまずは穏やかにすることが
大切だと思う。



プロフィール

Author:あっこ&かーこ
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