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同じ空の下

轟 智恵さんと娘さんの愛(まな)さんの共著、
「同じ空の下」が家に届いて、それを一気に読みました。

同じ空の下


愛さんが本当に優しくて、心が綺麗な娘さんだと
愛さんの作る詩、書かれた内容から感じ取りました。

学校で授業中に男子生徒が蹴ったバレーボールが
頭に当たり、その後2年間原因不明の病魔が愛さんの
身体を襲います。身体を切り裂くような痛み、
吐き気・・様々な症状に苦しみ、誰にも
理解してもらえず精神科に入院したりし、
苦しみぬきます。

その間、愛さんは自分があの事故により
体調を崩してしまったということを言ったら、
妊婦の先生が悲しんで、赤ちゃんに影響がでるかもしれない・・
自分さえ我慢すれば・・

など自分以外の誰かの事を思い、我慢します。

でも、身体は我慢が出来る限界を超え、悲鳴をあげます・・・。

あの日を境に、全てが変わったと。

紹介された愛さんの詩が、私の胸に突き刺さります。
あまりにも、少女が作る詩としては、悲しい
痛い詩です。

『矛盾』
・・・・略・・・・・・・
生きたい・・と思った次の瞬間には
消えたい・・と思う・・。
・・・・略・・


他にも、その言葉の奥に隠れた悲しみと
苦しみと孤独が・・
短い詩の中にいくつか紹介されていました。

脳脊髄液減少症の治療している医師に辿り着いたのは
事故から2年。その間学校も登校できなくなりやめて
しまいます。

医師が最初に

「私を探し求めてくれてありがとう。」
と愛さんに声をかけます。
その言葉に、どれだけ救われたことかと智恵さんと
愛さんは言います。
(検査の結果は13か所からの髄液漏れでした・・。)


高橋先生の「辛かったですね。」の言葉に
かーこが救われた時を思い出しました。

お母様の手記の中で、

活動への母と子の葛藤が記されていました。

「活動」には、苦痛が伴うことがあります。
それを「苦痛」と感じるかどうかは個人差がありますが・・、
間違いなく、色んな立場で色んな葛藤があります。

でも、その中でお母様である智恵さんは

『「娘の為に頑張る母親」というイメージは誤解』
であり、娘さんは望んでいなかったと言っていました。

でも、続きます。

『誰のためでもないのです。一言でいうなら、ただ「この
理不尽な世の中に納得できない。」という理由です。やるだけ
やって、それでもダメならしかたない。
ただ何もせずに変わらない世の中を憂いているのが、
自分自身の中で納得いかない』


と述べます。

轟さんのような動きをして、はじめて
「何かがかわる」
ことを期待できるのだと私は思いたいです。

この本が7万部売れた場合にはドラマ化されます。

「無知ほど怖いものは無い」と本でも述べられていましたが、
知っていたら脳脊髄液減少症になるかもしれない
誰かの未来を生き易くできるかもしれません。
早期発見早期治療により元の身体に
戻れる可能性が高いのです。

是非一人でも多くの方がこの本を手にとって
病気を理解していただければいいな・・
そして、ドラマ化されればいいなぁ・・と
思います。
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苦難福門

先日、娘の小学校の夕涼み会があり
PTAの役員をしている私は
ビールの販売員として繰り出されて
夕方5時から9時前まで立ちっぱなしで
ビールの販売をした。

地元の方が次々来て
生ビールを注文していき
何回も並んでくださる方もいて
そういう方は次第にできあがってきて
テンションも上がり
それを見ていると
売っているほうも楽しかった。

こういう時間に
ふっと過去を振り返る自分がいる。
去年はこんなことできたかな?
答えは絶対無理。
一昨年は???
ありえないと・・・。

山王病院にフラフラの状態で辿りつき
必死の思いで抜け殻のような身体を
高橋先生に委ねて2年が経過した。

この病気・・・
事故から2年半なんていうと
闘病の部類に入らないくらい短いと
今なら理解できるが
あの時は苦しみのどん底にいて
1分1秒がとてつもなく長くて
辛い辛い時間だった。

今の私は
ほとんど体調を崩すことは無いのだが
とはいっても脳脊を経験したという爆弾を抱えた以上
定期的に自分の身体を整える治療を継続している。

2か月、もしくは3か月に1回くらい。
過労などで症状が見え隠れし始めたら
すぐに淡路島に通う。

これは、あの恐ろしかった症状に
二度と戻りたくないから
今もなお続けている。

医学論争を繰り広げて
保険適用がずっと先になるのならば
仮に保険が適用されても
100人に16人しか救済しないような
交通事故被害者を
100人のうち2人しか救済しないような
診断基準ができるのならば・・・

腰椎から漏れていた私を含め
診断基準から除外される患者さんは
自身で良くなる方法を探さないと
救われないと思う。

皆ではないかもしれない。
でも・・・私の辿った道を歩んで
1人でも2人でも患者さんが
良くなってくれればいいなと
心から思う。

そのために私にできることがあれば
力になっていきたいと思う。

苦しみは永遠になるように
その渦中の時は感じるけれど
きっと終焉が来て・・・
それからは
心が幸せを感じることが訪れてくると
私は信じています。



ガラスの心に愛を・・・

私は経験者だから
なんとなく理解(想像)できることがある。

それは・・・
髄液漏れを長い間放置した場合に起こる
身体に及ぼす様々な影響。

目に見えない形で現れる症状を
後遺症と呼ばないのであれば
残存症状もしくは継続症状・・・。

事故から7か月という短期間で
生きることが難しい状態
言いかえると
こんな状態のまま生き続けるのは
ただただ・・・
辛く苦しいだけだということ
身をもって経験した私。

そんな私が
仮に今まで放置されていたとしたら
弱い人間である私は
今・・・生きているのかさえも自信がなく
仮に生きていたとしても
ただ息をしているだけの身体になっていたと
恐ろしいけど確信できる。

事故から3年放置され
弱りすぎてしまい
髄液が漏れ続け治療するも回復が困難で
事故から6年経過する現在も
寝たきりで動けなくて
「かーこさん・・・
 毎日、首を吊りたい衝動に駆られるんだけど
 それを行動にうつす力もないの・・・。」
と話してくれたある患者さん。

辛い体で震災に遭われ
一人耐えていた宮城の患者さん。


RI脳槽シンチ3.8%残存率で
事故から半年でブラッドパッチするも、
現在、回復途上にみられる症状かわからないが
激しい全身の症状に苦しみ
「当たり前のことが一番幸せなことだと
つくづくわかりました。」
と、か細い声で話してくれた九州の患者さん。

私はどうしてあげることもできず
電話でお話しする患者さんには
「うんうん・・・そうだよね・・・」
と言ってただ聞いてあげて
「辛いよね・・・でも生きてね。
生きていればいいこともきっとあるから・・・。」
と言葉をかけるのがいっぱいだ。

机上で考えた一律の診断基準にあてはまらないとか
病名がつくまでの期間が長いなど
事故と病気の因果関係が否定される昨今の判決。

病名がつくのに時間がかかったのは
私たちの責任ですか????
治りたいと思って
砂を噛む思いで治療を受け
それでも残念ながら効果を見いだせなかったのは
治らない患者さんの責任なのですか???
と全てのお医者さんに問いたいのです。

机上の理論が繰り広げられている医学会で
泣いている患者さんを診ることもなく
頭だけで病気を理論つけようとする姿勢に
まずは現場、まずは患者を診ること
そして真心をもって考えていくということを
お願いしたいと思うのです。

7か月の間病院を転々とするも
私はある一人のお医者さんの元へ帰って行った。

東京での治療後、高知に帰ってから
そのお医者さんの元に通うのをやめたから
今となってはその先生の心に

みつけてあげられなかった・・・

という懺悔の念を私の病気のせいで
もしかしたら抱かせてしまっているのかもしれない。

私がその先生のもとに事故後にずっと通ったのは
腕が良いとか評判が良いとかそんなのではなく

ただ・・・お優しかったから。

医者対患者も人間対人間であり
心が癒されたからだ。

患者の心はガラスのようである。
だから・・・
たわいもない言葉で深く傷つくし
たった一言でこの苦しみ全てを理解してもらったと
熱い涙を流す。

真心のある愛ある行動をとっていく
これが一人一人の行動の中に
そして全ての社会に
求められているような
そんな気がしています。


最後の一人まで助かりますように・・・

議連総会で
ご自身が患者として切り捨てられてきた経験を語り

「患者がむごい・・・」

と涙を流された大人の男性がいると
あっこから聞きました。

その方のブログに
最後の一人まで助かりますように・・・
とあります。

もうこんな悲しみは終焉しないといけない時だと
私も強く思うのです。

最近、毎日患者さんからメールが来ます。
患者さんの数だけ悲しみがあることを
改めて感じています。

生きるのもやっとの方もいます。
ご自身の体が不安で不安で
その気持ちをどうすればよいかわからず
悲しみに打ちひしがれている方もいらっしゃいます。

最後の一人まで助かりますように・・・

KIKITATAさんのブログより

一生懸命・・・
命を守ってください。
お願いします。



暗礁

    ~ 御礼 ~

7月6日記事「助けていただけませんでしょうか」
につき、粟津さんより下記のメールがはいりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

相談の件でご心配をお掛けいたしましたが、
本日、助け舟の電話が入りましたので
ご報告いたします。

助け舟は同じ仙台に住む 当会会員の
ブログネーム「××××」さんからです。

一度、××××さんから電話していただけるそうです。
近くに同じ病の方がいることは、彼女にとっても
心強いと思います。

まだまだ安心できない状態ですが、まずは一安心
○○さん(←長年活動されているさくらさんです・・)
の助言のように、議員を通じて生活保護申請や
治療先の確保とサポートしなければならないことは
ありますが、改めて、世の中はまんざら
捨てたものじゃないと心から思いました。

               粟津 


私からも、「本当にありがとうございました。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


第六回議連総会の内容をあとで知れば知るほど、
それが、患者にとって酷な内容であったか・・・を
知りました。

次期診療報酬改定での脳脊髄液減少症の
治療であるブラッドパッチの保険適用の
可能性が限りなく低いというものでした・・
・。

昨年4月に当時の厚生労働大臣の長妻さん
が、今回は間に合わなかったが・・次回の
保険適用を前向きに・・との言葉を信じていました。

まったくの暗礁に乗り上げてしまったような
印象を受けます。

細谷地代表と患者代表の留美さんが、
鹿児島まで行って、100年もの国による人権侵害
であるハンセン病問題を動かしたZIIZIIさん
繋がったことにより、架け橋を発足しました。


当初は小さな笹舟のような船に
その後私もかーこと共に、同乗させてもらいました。
今では会員の数も地道に増えているようです。


その中には、患者でもなく患者家族でも
なく、自分の心で判断してくださって
入会してくださった方も存在します。
ありがたいことです。


当初よりは大きくなった船の中に、
まったく動けず、ただ家の中で
カーテンをしめてサングラスをかけ、
中には、おむつをして、天井を見つめ
痛みに堪えながら生活をしている患者さんがいます・・。


貯金も底をつき、どのように生活
すればよいのかと・・明日を不安に
思いながら生活している方・・、

誰にも頼ることができなくて
助けを求める方
も実際にいます。


暗礁に乗り上げた船の上で、
海が満つるのを待つしか方法は
ないのでしょうか・・。


その間に、船の上で日上がって
カラカラになって、
ひょろひょろになって
何もできなくなってしまい、


海に飛び込んでしまいたい衝動に
駆られながら、


涙を流している人が沢山います。



議員会館に足を運んでいる患者さんは、
以前は寝たきりだったけれど、
ブラッドパッチで寝たきりを脱した方や

ギリギリの状態でも、介護してくれる
人がいて、支えてくれる人がいる方であり、

実は、声なき声・・つまり・・
行きたくても行けない・・動けない寝たきりの方や、

ふとした衝動で死んでしまいたい衝動にかられる
ような方も実際に存在します。


身体の痛みを伴う方の心が
穏やかになるのは・・・
本当に難しいと思います・・。


優しく医療を受けられない
現実が、脳脊髄液減少症には
あります。


暗礁にのりあげた船の上で、
私は自分の心を落ち着かせることができないでいます。
悲しい患者さんが実際に存在することを
知ってしまったから。


脳脊髄液減少症が国にも認められず、
一般の人が当り前と思っているような医療も
受けることが難しい・・、
悲しい病気であることを
知ってください。


まずは、知ることが大切です。


患者さんの怒りを私は想像します。


怒りの声は、悲しみの深さと比例することも
知っています。


私は難しい内容の医学論文を、
全部読みこんで理解することなど到底できないけれど、


でも、机上の理論で言いあう医師が、
一人でも悲しみの底にいる患者に寄り添い
その人の話を聞いて、その人を良くしてあげたいと
努力して欲しいです・・。


怒りと悲しみをもった患者が存在して、

大人の男性も、自分の過去を思い出して、
人前でオイオイ泣いてしまうほど
悔しくて悲しい病気であり、


光を失いつつある留美さんなどは、
本当は家で一番休んでいて欲しい存在なのに・・


でも、這いつくばって毎回議員さんに
訴えにきてくれているのに・・


残酷な病気であることを知れば、


ここまで待たせ続けた患者に、
さらに酷な内容をつきつけることなど
できないのではないかと・・

人としてできないのではないかと・・
思ったりします。

助けいただけませんでしょうか・・

架け橋の相談窓口に入ってきた悩みですが、
どなたか宮城県仙台市在住の女性Hさんを
助けていただけませんでしょうか・・。

5年前のの交通事故により、脳脊髄液減少症を患い、
仕事を失い現在は働けない状態です。

諸事情により家族とは絶縁状態にあり、頼り先の
ない一人暮らしです。

詳細は下記です。
  
・08年に脳脊髄液減少症かと気づき、
 その後仙台医療センターで脳脊髄液減少症の
 検査を受けるも、RIで漏れが確認できなか
 ったために、その後これといった治療をして
 いない。

・MRI検査にて脳の萎縮は確認されており、
 症状はどんどん悪化傾向にあります。

・現在ペインクリニックで
 痛み止めをもらう程度の治療をしている。

・症状は頭痛・目眩・眩しい・首肩痛い・
  足引きずる・睡眠障害・記憶障害・倦怠感・
  疲労感等・他
  
・貯金は少々ありますが、数ヶ月で底をつきます。

・震災の影響で家具等が散乱していますが、一人
 で片付ける事ができない。
 
・生活保護申請に市役所に行ったものの却下される。
 理由は下記の通りです。

 *少し貯金があること
 *現在の家賃が生活保護の家賃規定の上限を超
  えている、
  (本人の体調から引越しできない)

・・・・・・・・・・・

今、彼女の体調を考えると、引っ越しは難しいです。
被災地ではこちらでは考えられないような状況で
皆さん生活されていらっしゃると思います・・・。


この状況下、生活保護の申請も却下されたのかも
しれませんが・・

でも、保護されなければ、
脳脊髄液減少症の患者の中には
生きていく事ができない方もいます・・・・


彼女に必要なことは、生活保護の申請と、
脳脊髄液減少症の再検査及び
早急なブラッドパッチ等の治療です。

しかし、一人ではどの手続きをすることも
出来ないほど衰弱し、追い詰められています。

被災地では、ご自身のことでも大変だと思いますが、
もし、彼女のところに足を運んでくださる方がいましたら・・
架け橋の副代表 粟津さんの携帯電話
080‐3862‐5010にご連絡をお願いいたします。

粟津さんは、毎日何十件も電話相談を受けていますが、
特に早急に何とかしなければ・・と
感じたと言っています。

なお、この記事につきましては、転載等自由ですので
私からも宜しくお願い申し上げます。

第六回議連総会

今日は、脳脊髄液減少症全国ネットワーク架け橋の
第六回議連総会がありました。

患者代表の留美さんとは、今年の4月に
会いましたが、
その時よりかなり痩せていました・・。

私は、
「裁判辛かったですね・・」
と声をかけました・・。


身体が本当に辛そうで、殆ど車椅子を
倒されていましたが、
ご本人は、黒いサングラスをかけた目の
ことを話されました。


私は、留美さんが話す内容に
言葉を失いました・・。悲しかったです・・。

大分県の轟智恵さんも出席されました。
娘さんの愛さんと共に、7月1日に共著で
「同じ空の下」を出版されました。

同じ空の下

7万部売れた場合はドラマ化されます。
ドラマ化された場合はこの病気がより周知と
なります。
轟さんにはいつも周知にむけてのご活動を
心より感謝します。



大きな集会でしたので、会員の人数も多く集まり、
初めて会う方も何人もいました。
大分、大阪、三重、愛知、など・・
遠方からも来てくださいました。


ブログでやりとりさせていただいた詩恵琉さんにも
初めてお会いでき、嬉しかったです。

非常に辛い症状を以前ブログでは
綴っておられましたが、
最近は、前よりは良くなられたとのことで、
私はそのことをご本人から聞けて、
本当に嬉しく思いました。
もっと、良くなって欲しいと思います。

神奈川の支部長をやってくださっている
テッシーくんも、最近は体調が良いと
言っていましたので・・良かったです。


30名程会員が出席しましたが、
会議が夕方からはじまるので、
ひとりひとりが自己紹介を兼ねて、
会議の前に話す時間を持つことができました。



原因が不明で脳脊髄液減少症を発症された方、


ひったくりをされて転倒し病気を発症された方、


交通事故の方、学校での事故の方、


原因は様々でしたが、



皆さんが声をそろえて、
病名に辿り着くまでに本当に苦しんだ事、
病気を医師も「知らない」ことで、病院を
転々とした事、


いまだに、病名に辿り着けず
苦しんでいる人がいるはずだから
病気を知って欲しい・・


ということをおっしゃっていました。



時には辛かったことを思い出され、
声を詰まらせ話された方、


事故により学校に行けなくなったお子様のことを
ハンカチを握りしめて話すお母様、


聞いているだけで、かーこの辛い時と重なり
胸が詰まる思いでした。



私は、時間の都合上、その後の会合には出席することが
できませんでしたが・・・、

架け橋のHP
にて、映像で会議の様子は
見ることが出来ます。そして、内容に
つきましても、近日中にアップされると
思います。

違和感

事故により体調悪化ゆえ退職、
事故から7か月で脳脊髄液減少症と診断がつき
明確な髄液漏出の画像があり
RIシンチグラッフィによる残存率も異常な数値。

やっとのことでブラッドパッチ治療に辿りつき
ブラッドパッチ治療により回復
社会復帰まで果たすことができた私の経緯で
仮に裁判をしたなら
事故と脳脊髄液減少症は
因果関係なしと
裁判官は言えるのだろうかと
ふと考える。

裁判という重荷や
損保との話し合いなどのストレスから
今まで逃げまくっていた私は
もしかして卑怯なのかもしれない。

正直、裁判という精神的苦痛に耐えられる自信もなく
損保との話し合いも
まずは自分の身体を治してからにしようと
逃げていた。

今回、留美さんの判決を見て
言いようのない悶々としたものを感じている。

ブラッドパッチで効果がなければ
脳脊髄液減少症ではないとする裁判所の判断。

私はブラッドパッチにより回復できたから
裁判をして緻密に立証すれば
脳脊髄液減少症だったと
認めてもらえるかもしれない。

でも・・・そんな一辺倒な判例を増やしてしまって
いいのだろうかとさえ考える。

病名がつくまでの7か月が邪魔をして
事故と脳脊髄液減少症の因果関係を
追及してくるかもしれない。

でも、7か月診断がつかなかったのは
私の責任ではない。
私の当時の医者がこの病気を知らなかったから・・・。
ただ、それだけ。

また、ブラッドパッチにより
残念ながら効果を実感できていない患者さんを
何人も見てきてしまったから
ブラッドパッチで回復しなければ
脳脊髄液減少症でないなんていうことは
ありえないと十分理解できる。

この病気、そんな簡単なものではないと感じている。

自分の身体で地獄を見、
医療現場で地獄を見
司法の場で地獄を見てきた
多くの患者さんを
どういう形で社会は癒してあげるのか?

脳脊髄液減少症になって
仕事もできなくなり
重い後遺症が残り
裁判をして世間に訴えようとした方が
100万円の判決を取るのに
弁護士に200万支払った話や

逆に損保側から訴えられるという
あまりの非道を経験し
和解という形では納得がいかず
救済を司法の判決に求め
和解金提示額の10分の1ほどの
敗訴判決を受け
身も砕けるような悔しい気持ちを経験した方など

裁判をした方の話を
色々、聞いてきた。

司法の場でこの病気の患者さんが味わってきた苦痛は
今回の留美さんの判決も含め
本当に計り知れないものだと感じている。

どうすれば・・・
この病気の患者さんは癒されるのだろう?

脳脊髄液減少症になり
目に見えない後遺症を抱えている方は沢山いる。

完治が勝訴の条件というのは
あまりに行き過ぎた裁判所の判断であるし
回復できない患者さんは
脳脊髄液減少症でないとする判決は
この病気を知れば知るほど
異様な感じがしてならない。

集団訴訟という形で
多くの患者さんの現実をみてもらうしか
この病気を知ってもらう方法はないのだろうか?

今までの勝訴判決を読んで
苦しみはしたものの
ブラッドパッチで完治に近い回復できた一部の患者さんのみ
司法で救済している現実に
異様なほどの違和感を感じており
もう逃げることができない
これから始まる私自身の話し合いで
自分の身の振り方をどうすればよいのか
重く考えさせられる。



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Author:あっこ&かーこ
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