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お母さん

母はいつも私を応援してくれる。

脳脊の症状が重くて寝たきりの時も
どんな状態でも
息をして笑ってくれていればいいと言ってくれた。

ご飯なんか作れなくなっても
ご飯くらいは作って食べさせると・・・
生きていてくれればそれでいいと言ってくれた。

少し回復して
起きることができるようになっても
ずっと心配し続けてくれて
重いものは絶対持たさないようにとか
無理はさせないようにとか
いつも思ってくれている。

疲れたといったら
今でも肩を何時間でも揉んでくれて
本当に有難い。

仕事を始めるにあたっても
私が好きだから
それが生きがいならやればいいと
応援してくれている。

病気にまたなるくらいなら
仕事なんかしてほしくないとも言われた。

たったひとつの条件
無理をしないこと
身体を一番に思いやること
これだけを守るようにと・・。
いつもいつも言ってくれる。

何があっても私を守ろうとする母は
愛の塊のような人で本当にすごいと思う。

私も2人の子供の母親だけど
私より私の母はすごいと思う。

そんな母に心配かけないように
生きていこうと
最近つくづく思う。


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エール

今朝、テレビを観ていると癌を克服された
桑田佳祐さんがテレビでインタビューを受けていた。

喉頭がんという、歌手生命の危機すら囁かれた
桑田さんが、復活してアルバムをリリースしたとの
ことだった。

桑田さんが言っていた言葉で印象的だったのは、

「あの5か月の時間は音楽の神様に与えられた
 時間だった。不安の中、自分を見つめる時間だった。
 励ましてくれたファンの皆さんに心の底から
 ありがたい気持ちでいっぱいで、自分の与えられた
 人生、若い人たちにエールを送り続けたい・・
 ご恩にお返しをしたい・・」

という内容のことだった。とても感動した。


先日のアジアカップで、決勝ゴールをした
李忠成選手のインタビューで、若いのにすごいな
と思ったのは、

「自分は韓国人なのか日本人なのか
 いったい自分は何人なのか・・と悩んだ時期が
 あったけれど、今では祖国が二つあるってすごいことだ
 と心の底から思える・・。 サッカーの神様は、必ずいて
 努力し続ける人は必ず応援してくれると信じている・・。」

と言っていたのを聞いた時だった。国籍という自分には
どうすることも出来ないものについて悩んだ末、それ
を肯定して受け入れて頑張っている。
真夜中アジアカップを夫とともに
観ていたが、あの美しいゴールの裏側に、
そんな一人の若者の苦悩と努力が
あったのかと思うと・・感動した。

すべては、自分次第・・というか、自分で良くも悪くも
色づけることができ、捉える事ができる・・という
ことを、李選手から教えてもらった。


イチローや王貞治、桑田真澄や多くの一流の野球選手の
話の中にも、「野球の神様」がよく出てくる。

このように、凄い人だな・・と思う人は、
目に見えない大きな存在をどこかで信じていて
自分に与えられた力を最大限引き延ばす努力も
怠っていないように思う。


そして、今日の桑田佳祐さんのインタビューで感じたのは
例え、病であったとしても、それをマイナスに捉えず
「与えられた時間」と肯定しているところはすごいな・・
と思った。

私には、「子育ての神様」がいる??
と自分の等身大の姿を受け入れ、
家族と共に・・等身大の努力をしようと思う。
それが与えられた自分の使命かもしれない。

かーこが脳脊髄液減少症になって
苦しんでいる最中でも、
「絶対良くなる」
という信念のような気持ちは持ち続けていた。

努力ではどうにもならないような体調に
苛まれながらも、
「今よりも必ず良くしてみせる」という気持ちは
持ち続けていた。

そこに、「他力」・・というか、
多くの目に見えない力が
縁のようになってバックアップしてくれて、
仕事が出来るまでに快復した。

目に見えているものが全てではない・・
「今より良くなるぞ!」
という気持ちを持ち続けて欲しい。
そうすれば、限界は限界でなく、
無限に広がっていくと思う。

かーこも、今は「おまけの人生」と言っていた。
いっぱい苦しんだから、存分に自分の好きな仕事に
羽ばたき、これからの人生頑張って欲しい!

悲しみの壁

先日、図書館で娘が「アンネの日記」を借りてきた。
幼い時に読んだその本を、
久しぶりに娘と一緒に読んでみた。

戦時中、ユダヤ人は「ただユダヤ人であるというだけ」で
迫害され、強制収容所に連れていかれて殺される・・
という恐怖におびえて暮らさなければならなかった。

隠れ家では音さえたてることもできず、
トイレさえ制限され、昼間に
太陽の光を浴びることもなく
生活せざるを得なかった・・。

終戦とともに、ナチスのユダヤ人皆殺し作戦は
終わりを迎えることになったが、
罪なき500万以上の「人命」がこの間に殺された。

15歳の少女アンネフランクが自分の目線で
綴った隠れ家での2年1ヵ月の日記が、
家族でただ一人生き残った父によって、
公表された。

その後、彼女の書いた
「アンネの日記」・・によって、
信じられないような現実が過去にあったことを
時代や国を超えて戦後何十年もの間、
子供も大人も知ることができた。

架け橋相談役であり、
ハンセン病問題の全面解決に
取り組んでおられるZIIZIIさんのブログの記事
心が痛んだ。

隔離政策により、外の世界から断絶された
ハンセン病施設にいた子供達が、
コンクリートの壁に穴をあけて外の世界を見ようと
したことが紹介されていた・・。

ハンセン病の子供達が一生懸命開けた小さな穴・・。
でも、その穴から故郷を思っても
出ることが許されなかった・・。
悲惨な現実がほんの少し前でも日本にあったことを
ZIIZIIさんが、経験者として伝えてくださる
からこそ、私は知ることが出来た。

国会で何度か会ったことのあるMさんが以前、
脳脊髄液減少症になってから
自分も「隔離されている・・」
と感じることがある・・と
ZIIZIIさんのブログで
書いていたとき、
私は言葉にならない思いを抱いた。

かーこにそのことを話すと、
「Mさんの気持ちなんとなく解る・・」
と言っていた。

病の最中にあるときは、
かーこは音が耐えられなかったので、
携帯で離れて暮らす家族と電話をすることも辛かった・・。
かーこの子供達にしてみれば・・
「お母さん・・どうしてすぐ電話切るんだろう・・・・」
と思ったかもしれない・・。
話したくても耳が辛い現実があった。

姉がお見舞いに来た時も、途中から無言になった・・。
後で聞くと、姉の話し方が早すぎて気持ち悪くなった・・
といっていた・・。私にとっては、いつもと変わらない
姉の話し方だった。

家族や親せきなら、そのようなことも大目に見てもらえる
こともあるが、家族以外にそのような態度をとったら・・
「失礼な態度をする人だ・・」
と思われかねない・・。
かーこが病気の時に、友達に会うのを避けていたと
言っていたのを覚えている。

本人は地獄のような症状はあるのにも関わらず
一見「意外と健康そうに見える」ことから、
理解されにくく誤解されやすい
脳脊髄液減少症患者。
「仮病・・怠け病・・保険金詐欺・・」
その言葉にどれだけ傷つくことだろう・・。

患者の心の中に・・・だんだんと
社会や・・もしかしたら家族とも・・壁が
できるのかもしれない・・・。
苦しむ期間が長ければ長いほど、
人々の無理解にさらされればさらされるほど、
患者の側の心の壁は厚く、高くなってしまう。


脳脊髄液減少症を取り巻く社会の中にも・・
無関心、無理解・・・・という
マイナスの「目に見えない壁」が
存在しているように思う。
交通事故が絡むと「大人の利権」が
その壁を一層高く厚くしてしまう・・・。

「悲しみの壁」をどうやったらこじ開けるのことが
できるのだろうか・・
ハンセン病の子供達が一生懸命
こじ開けた穴と・・痛みは違うけれど・・
多くの困難と悲しみがある点で
どこか似ているように私は感じてしまう・・。

おかしな現実は必ず良き方向へ
正されていくと信じている。
歴史がそれを物語っている。

「悲しみの壁」の穴から患者の実態を
知ること・・そして、家族や友達に伝えること
そんなちょっとした日常の中にも、
壁が崩れるきっかけがあるかもしれない
と感じている。

再出発

仕事を始めて
以前お世話になっていた先生や
新たに繋がった方々との交流が始まり
毎日、楽しく働いている。

病気後はじめて仕事の会合に出たときに
「よく頑張ったね。」
と以前勤めていた職場の先生から
声をかけてもらった。

ただそれだけの言葉なのに・・・
その言葉に深い思いやりが感じられ
その言葉だけで充分と思った。

つい先日、懇親会があって
「先生、覚えていますか?」
「貴方は追突されて終わるような人じゃないでしょ。
と言ってもらえたから頑張れたんです。」
と話して御礼を言った。

あの時は病名もわかっていなかったから
深い気持ちで言ってくれたのではなかったと思うけど
私にとっては病気を乗り越えるのに
重い言葉となって励まし続けてくれた
そんな感じがします。

こんなに元気になって
お礼を言える日が来るなんて・・・
本当に私は幸せ者です。

あんなに苦しかったのに・・・
もう生きることも無理かもしれないと思っていたのに・・・
一秒たりとも耐えられないと思っていたのに・・・
生き地獄ともいえる症状にがんじがらめにされていたのに・・

そんな私が今、仕事をして懇親会も出て
以前と同じように生活できている。

立春の日
仕事の懇親会が終わって
夜、家に帰ると
以前勤めていた職場の同僚から花束が届いていた。

添え書きに
「お手伝いできることがあれば
 遠慮なくお声をかけてください。」
と・・・。
とても嬉しかった。

仕事のスタートを応援してくれる家族や友がいる。
仕事を手伝ってくれる仲間がいる。
皆が支えてくれる。
有難い・・・。

体が良くなっただけでも幸せなのに
好きな仕事に戻ることができた。
支えてくれた全ての人に心から感謝します。

新たに与えられた人生
無理しないで自分らしく
楽しく頑張ろう。
私が私らしく
今を生きるために・・・。



他力

私は最近、他力にすごく支えられていることを感じる。
私の思う他力とは、人の力ももちろんそうだけれど、
花などの植物とか自然の力や、ご縁などの
目に見えない力もそうだ。

かーこが退院する日に、近くの花屋さんで5輪のつぼみの
ユリを買った。そのユリは、長い間かーこが寝ている部屋で
次々と綺麗に咲いた。

「ユリの花から『元気になってね』と言われているみたい。」

とかーこが言っていたのを覚えている。
ユリはマリア様の花。

その後、高知に帰ってかーこが
植物を沢山買って育て始めたことも・・
きっと花や植物に癒された自分がいたからだと
思う。

今月になって・・かーこが仕事を始めた。
確定申告の税務応援に行っているらしい。
本格的に自分の事務所をスタートさせるのは
まだ少し先のようだが、かーこが望む仕事を
再スタートできたことを心から嬉しく思う。

振り返ると、頑張って資格を取得した1年後に
100%非が無い交通事故で、仕事ができなくなった。
異常が無いと言われ続ける中、どんどんと体調が崩れ
文字を読むことも、病院で自分のことを書くことも、
握力が無くなりペンを握ることも、
タクシーで言われたお金を財布から支払うことも、
簡単な計算も出来なくなった。
立つこともできず、座ることは
もっと難しくなった。

私も、あの時には生きていてもらうだけで良いと思った。
母が、かーこに、
「ご飯を食べて、笑って息をして生きてくれるだけでいい。
60年以上生きてきて、振り返ると、それができることが
一番。」
といったのを、思いだす。
母も、仕事はもう難しいだろうと思っての言葉だったと思う。
色んなことを思い返すと・・よくぞここまで快復したと思う。

治療に携わってくださった高橋先生
淡路島の構造医学をとりいれている先生
先生を支えるまゆみさん
まゆみさんの友人で、先生を紹介してくださった
古くからのブログ友まほさん
折れそうになったかーこの心だけでなく、
支えるには弱い私の心も、しっかりと支えて
添え木のような存在となってくださった家族や沢山の友人、
そしてベランダの花や・・

CA1461EN.jpg CAX5I0EG.jpg


繋がることのできたご縁

そのすべての“他力”の優しさに

「ありがとう」と言いたいです。
プロフィール

あっこ&かーこ

Author:あっこ&かーこ
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