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私のできること

私のできることは何だろう?と思う。

過去の患者さんの中には
病名がつかないまま
どんどん衰弱して
声も上げられないまま
命を亡くしてしまった方も
沢山いたと思う。

あっこに病気を見つけてもらって
経済的負担というハードルも越えさせてもらって
治療にたどり着けた私は
今の脳脊患者がおかれている現状では
細い細い道を辿ることができた
幸運な患者だと思う。

怒りでどうしようもない時があった。
許せなくて悔しくて悲しくて
自分の感情を抑えられない時もあった。

でも・・・
その感情は自分を苦しめていると気づき
それからは
怒りの部分を手放すように努力した。

そして病気を受け入れ
絶対治すと心に誓った。
治るためなら何でもするとも決めた。

今は病気をしなければ繋がることのなかった
沢山のご縁に心から感謝している。

今の私にできることは
病気の方の心に寄り添うこと・・・
小さなことしかできないけど
同病の患者さんを応援していきたいと思う。

本当に辛かった。
だから・・・
今を苦しむ患者さんのために
何らかを綴っていきたい。


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病の歴史

主人の祖母は、主人の母が小学校に
あがる前に、5人の子供達を残して
結核で亡くなったそうです。
まだ30代でした。
当時は、結核といえば、不治の病でした。

医者に見放された妻の為に、
当時のお金で、1本5000円の注射を購入する
ために、主人の祖父は駆けずりまわって
お金を工面したそうです。
祖母が亡くなってわずか2~3年後に、
ストラプトマイシンなどの
結核に効く薬がでてきました・・。

主人の母の家は、関西で商売をしていましたが、
結核患者を出したことで、
商売が成り立たなくなりました。
言われのないことを、言われて
当時幼かった義理の母は、
深く傷ついたことも話してくれました。

「大河の一滴」や「青春の門」の作者である
五木寛之氏の父親も結核で亡くなったようです。
五木氏の書かれた著書の中で、
当時は、結核患者がでた・・というと
鼻をつまんで家の前を通りすぎる人もいたため、
ずっと父が結核であることを隠していたと
述べられていました。

今では、こういう話が昔話のように感じるのも、
医学の発展によって、
結核が適切な治療をすれば
治る病気へと変わっていったからだと思います。

脳脊髄液減少症が、人々に知られて
交通事故や身体に受けた衝撃でなりうることが
当り前に皆に知れ渡るようになれば、
医学もそれと共に研究が進み、
脳脊髄液減少症の悲しみの長い歴史に
ピリオドがうてるかもしれない・・。

研究班で作成されている
脳脊髄液減少症の診断基準が、
現在苦しんでいる多くの患者を
救うものであると同時に、
いつの日か、
脳脊髄液減少症の悲しみの歴史に
ピリオドをうつための布石となって欲しいと
切に願います。

美意の杏配

1年ほど前、インドの逸話を紹介しましたが、
年末深夜の番組で、素敵な話が紹介されていました。
確かこれもインドの話だったと思いますが…

本を実際読みたくて、いろいろと探していますが、
タイトルも解らないのでみつけられず・・、
少し違っているかもしれませんが
覚えている範囲で・・紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・

昔王様と家来が散歩をしていた。
そこに、猛獣が現れて、
王様の指をかみちぎってしまった。

王様は家来に
「なぜ助けてくれなかったのか・・」
と怒った。

助けられなかった家来はひとこと、

「美意の杏配(びいのあんばい)です。」
(天の美しい配慮によってきめられている事)
・・・と。

王様は怒って、家来を牢獄に入れてしまった。

その後、しばらくして王様は一人で
また散歩にでかけた。

その時に、人をとらえて、いけにえ
にする集団に捕まってしまった。

しかし、王様の指が無いのを見ると、
「この人は神からの使いだから殺してはならない」
といって、王様を逃がしてくれた。

王様は、牢獄に入れた家来の所にいって、
「指を猛獣にかまれたことで、自分の命は助かった・・・。」
といい、家来を牢獄に入れてしまったことを
お詫びした。

家来は、

「これもまた、美意の杏配です。
お詫びはまったく要りません。
王様が私を牢獄に入れてくれたお陰で、私も命が
助かりました。もし、一緒に行っていたら私の
命はありませんでした。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一見マイナスと思われる事も
もしかしたら・・時が過ぎたら・・・・
自分の為になることだったと思える事も
あるのかもしれません・・・。

苦難を乗り越える経験が、
自分を高めてくれた・・とか・・

渦中にある時は苦しくて悲しいけれど・・
そこをひと踏んばり耐えた先に、
・・・トンネルの向こうに・・
まばゆいばかりの光がきっとあります。

美意の杏配(びいのあんばい)という言葉の響きは
とても素敵だなと思いました。

新たな気持ちで

「治してくださってありがとうございます。」

この言葉は
「治してください。」
というよりも
過去形にして
「治してくださってありがとうございます。」
と言った方が良いとアドバイスされて
一番辛い時に呪文のように唱えていた言葉です。

昨年は一年、
良いと信じた治療を取り入れて
その結果、治ったと思えるくらいに元気になったので
小さいころからお参りをしていた神社に
昨年末一人で
「治してくださってありがとうございます。」
とお礼参りに行ってきました。

この神社は
両親が私のために百日参りをしてくれた神社です。
やっと年末にお礼参りに行くことができました。

新年は除夜の鐘が鳴る時間に
その神社に家族4人で初詣に行き
私自身生まれ変わったかのような気持ちで
2011年の再出発をしました。

今年は心身ともにすがすがしい気持ちでスタートでき
日々感謝を忘れず何事にも取り組んでいこうと思います。

皆様にとり、今年が素晴らしい一年となりますように・・・

そして・・・
脳脊髄液減少症が病として認められ
診断基準や治療法が確立し
多くの患者さまが救われる年となりますように・・・。


あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

年初めは・・紅白を観終わってから、
恒例の鐘をついてきました。
昨年は背負っていった末娘も、直前まで
寝ていましたが、今年は歩いてくれました。

元旦は、のんびりとできましたが
2日は大学ラグビーの準々決勝にいってきました。
夫のラガーマン友達も一緒でした。
一回戦の東海大vs帝京大は
とても良い試合でしたが肝心の早明戦は
点差がつきすぎて、途中から相手チームを
私は応援していました(ファイト~♪)

3日は箱根駅伝を観終わった後、
明治神宮に行ってきました。
毎年、家内安全を祈願してもらうのですが、
今年は夫が前厄なので、厄払祈願と家内安全の2つ
お願いしました。

祈祷する人も、明治神宮なだけに一回につき200人ぐらい
まとめてするのですが・・シーンと静まったなか、
畳の間で末娘が、

♪サトウノ~キリモチ~♪

と叫んだのには、びっくりました(大汗)。



驚いたことといえば・・
次女が年賀状の写真の目をマッキーペンで
塗ってまつ毛を書いてしまっていたのを
出す直前で気付いて・・
ホトホト・・やってくれたなぁ・・と涙・・しました・・(笑)


お年始のご挨拶遅れた方申し訳ありませんでした・・


年末年始も子供にはびっくりさせられます(笑)


昨年は、義理の父母が相次いで病気になりました。
母は、薬のおかげで徐々に快復していますが、
12月は父の入院手術もありまして、ばたばた
としていました。でも、両親とも大事に
至らなかったことは本当に良かったです。
主人の両親と私はとても仲が良く、
子供達も大好きなので、健康に気を付けて
長生きしてほしいです。もちろん、
実家の両親もそのまま元気でいてください♪


今年は、末娘が幼稚園に入ります。
自分の時間と余裕ができます。
脳脊髄液減少症の患者様のために
今年は、動けるようになるかな・・と
思っています。

皆様にとって今年がすばらしい年で
ありますように・・。
プロフィール

あっこ&かーこ

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