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全ての県に・・・

なぜ、大変な体の患者が
わざわざ、県外まで
自分の身体に鞭を打って
病名を求めて
行かなければならないのでしょうか?

例えば、
交通事故や、転倒、スポーツ外傷で
脳脊髄液減少症が発症する可能性があると
全ての医学会において周知の事実になれば

患者の負担が
肉体的・精神的・経済的に
どれほど少なくなることでしょう?

これほど
医学が進歩した日本で
なぜ、このようなことが
放置されるのでしょうか?

何度考えても
どうしてもどうしても
理解できません。

事故なんて、
いつ遭ってもおかしくないし、
転倒も
今日これからするかもしれない。
スポーツも
多くの人が楽しんでいるし・・・。

なら、誰がいつどこで
脳脊髄液減少症になっても
おかしくないと思うのです。

体に受けた衝撃のあと
頭が痛いと訴える人に
急性期は充分な水分補給と安静を促し
それでも改善がなければ
早期にBP治療をするという
医療の流れができれば

これほどまでに
患者は苦境に立たされず
怒ることもなく

早期に本来の生活を
取り戻せるのではないでしょうか?

脳脊髄液減少症患者を放置して
悲しいことに重症化して
PCに向かうことすら、声を上げることすら
できなくなる人がいる現実を知ってしまったから

そして・・・苦しみのあまり
命さえも投げ出してしまう人がいる
現実を知ってしまったから

BPで回復し
PCに思いを述べることができる私は
伝えていかなければと思います。

全ての県に
脳脊髄液減少症の患者を
診断・治療できる体制が整うよう
祈りを込めて・・・


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恩返し

今から10年くらい昔だったかな・・・?
テレビで
「交通事故の実態」というのが
とりあげられていました。

若くてきれいな20代初期の女性が
交通事故で寝たきりになって
すでに3年くらいたっていた姿が
放送されていました。

仕事も退職を余儀なくされ、
婚約も解消し
原因不明の病と闘う姿が
「これが異常なしにみえますか?」
と・・・

本当に可哀想なくらい
苦しみぬいていました。

その放送をみた当時すごいショックで
何年も何年も頭から離れなかったです。

脳脊髄液減少症という病気の存在自体が
知られていなかったころだと思います。
ご家族が腕の良い先生がいるという病院を聞いては
寝ながら移動できる自家用車で
ドクターショッピングしている姿が
映されていました

その女性は
体調のいいとき
ベッドから空を眺め
雲の移り変わりを眺めるのが
好きになったといっていたのが
とても印象的でした。

彼女は間違いなく
脳脊髄液減少症だったと思います。
その後どうなったのかな・・・?
生きているかな・・・?
快復されているのかな・・・?
あの苦しそうな状態からは
解放されていてほしいと
今でも時々思います。 

本当にきれいな女性でした。
可哀想にも交通事故に遭って
しかも警察が物損事故として処理しており
人身事故に切り替えるすべも知らず
治療の打ち切りを宣言され
莫大な治療費をご家族が支払っておられました。

私のように近年この病気になった人は
一部の心ある医師により
早期発見の道が閉ざされておらず
救われる術があります。

それでも・・・
私もいまだに
悔しさと怒りがどうしようもなくこみ上げ
気がついたらポロポロ泣いているときがあります。

けれども、今から5年以上昔の患者さんは
本当に想像を絶するご苦労をされてきたと
そして
多くの涙を流してきたと
胸の詰まる思いがします。

今現在でも
地方の人たちや
PCで情報を集めることができない層の人たちは
医師の放置により
悪化の一途を辿ることがあるのです。

脳脊髄液減少症という病気があることが
篠永先生により解明されたのですから
少なくてもどの県に住もうと
医師の認知度があがり
診断のつける社会になってもらいたいです。

そして、
診断がついても
経済的な苦により
治療が受けられないという
悲しい現実が無くなるよう

病を経験し、
早期発見という恩を受けた私は
この病気を伝えることにより
その恩を返していきたいと思います。


BP後2ヶ月の私

今現在のBPの効果について簡単に述べます。
昨年12月追突事故に遭って
今年7月に、脳脊髄液減少症と診断が下るまで
訳がわからないまま
酷い状態になってしまいました。

BP直前の状態は・・・
脳の真髄を握り締められているような頭痛で
夜中激痛のあまり目が覚め、
右頚部にも激しい痛みがあり
耳の付け根から肩まではっきりわかるほど
腫れ上がっていました。

痛みは頭から首から、肩に飛び、
背中もパンパンで手や腰、足までもが痛くなり、
全身痛状態でした。

手の震えも酷く
眩暈や吐き気もあり
ほぼ寝たきり状態になっていました。
一人で歩くこともままならなかったです。

両手とも握力が2まで落ち
軽いものでさえ持つことができなくなりました。

気がつくと、活字が理解できず、
読むと気持ちが悪く活字から逃げていました。
音も駄目になり、人との会話が辛く
早口で話されると吐きそうになりました。
思うに高次機能障害も出始めていました。

私は人間として機能していませんでした。
呼吸も苦しく深呼吸で繋いでいましたし、
いつ、心臓発作をおこすこと不安でなりませんでした。
体温も体半分だけが氷のように冷たくなったりして、
自分で体温を調節する機能を失ってしまっていました。

思い出すのも恐ろしい症状を抱えていました。
けれども、全て心因性と片付けられていました。
自覚症状の表現の難しさ感じています。

BP前に通っていた整形外科の先生は
さすがに私の症状悪化になすすべもないと
いった感じで困り果てていました。
その先生は、病名は見つけられなかったけど
心配して四葉のクローバーをくれたりして
他の医師と比べると優しかったです。

高知ではほとんど診断を下せる医師がいないと
思うから、その整形外科の先生のことは
いまでも心あるいい先生だと思っています。

患者が声を上げなければ
脳脊髄液減少症という病気自体が
ないものとされてしまいます。

この病気に真摯に向き合い
救って下さっている先生方のためにも
自分の経験した症状を述べ
治療の効果を訴えていきたいと思います。

私は幸いにも山王病院の高橋先生のもとで
BPを受けることができました。
2回目のBPから現在2ヶ月が経過しました。
今の私の症状は
頭痛と頚部痛と肩の張りと倦怠感です。

頭痛といってもBP前のうずくまるほどの
激しいものではありません。
BP前100%とすると頭痛は20~30%くらいに
なっています。
BP前は頭の中がバチバチ音をたてていましたが
最近はそれもほぼ無くなりました。
とはいえ、軽くなっても頭痛は辛いものです。

頚部痛、肩の張りは続いています。
それでもBP前よりは軽くなっていると思います。

何となくですが・・・
事故の衝撃で頚椎の骨の配列異常が
起こっているような気がします。
今ある症状はむち打ちの強い症状といった感じです。
先日、レントゲンで首の骨のずれを指摘されました。
そんなこともあり・・・
首の脊椎矯正に構造医学を取り入れ
ゆっくり治していきたいと
思っています。

握力は2から20に両手とも上がり
本を何冊も読めるようになりました。
音も今は大丈夫です。

私はBPのお陰で多くの症状が消えました。
BP2ヶ月でこのように回復できて
とても嬉しいですし本当に凄いと思っています。
BP前の最悪だったときと比べると
信じられないほど良くなりました。
今はもちろん寝たきりではありません。
ゆっくりですが家事もできています。
不調なときは確かにあります。
でも、調子が良いときは丸1日起きていられます。

まだBP後2ヶ月です。
BPに辿り着けていなかったらと思うと
恐ろしくて・・・。

事故前を100%として、
事故後BP前の私の状態は5%でした。
あの状態で生きていられること自体不思議でした。
BP後2ヶ月たって現在は60~70%くらいに
回復しています。
あとは、ゆっくり時間をかけて
あげていければと思っています。

私は脳脊髄液減少症には
BP治療が有効な治療だと思います。
だから、早く保険適用になってほしいと思います。

もし、病気になったのが一家の主ならば
病としても認定されず
適切な保障も受けられず
酷い症状を抱え働くこともできず
どうやって家族を養えれば良いのでしょうか?

経済的な問題で、治療を断念し
地獄の苦しみの中で耐えている方が
悲しいことですが、今現在もいると思うのです。

脳脊髄液減少症で苦しまれている方
皆様が救われますように
同じ病を経験したものとして
祈らずにはいられません。


正しさの不確実さ

今日は嬉しいお知らせです。

心から尊敬し感謝している高橋先生のブログに

私たちのブログが紹介されました。


高橋先生のブログ



未だ病として認められない脳脊髄液減少症です。

治療法が明確に確立していないと医学会でも

対立があるなか、この病の患者の為に力を

尽くして下さっています高橋先生に心より感謝

申し上げます。



どのようなことでも、大きく変わろうとする

渦中では、抵抗勢力が存在すると思います。




歴史上でも、宗教戦争、魔女裁判、踏み絵、

奴隷解放運動、男女平等への運動・・・

あげるときりがないのですが・・・すべてその渦中

では、今まで正しいとされてきた出来事が、

そうでないと気付く少数の人達により

時には命をかけ、時間の流れの中

良い方向へと動いています。



正しいという価値判断が、そのように変化する

ものであるならば、私自身も自分の正しいという

価値基準が非常に脆いものであるとも思います。




相手が悪い、自分が正しいと・・対立するだけではなく、

多くの意見を聞き入れる柔軟さが大切です。



お医者様には、患者の声を聞いてほしいと思います。

かーこが・・先日近医に、「君はもともと首が弱かった

だけで、ブラッドパッチのようなイクセントリックな

治療では治らない・・

本当にやりたいのなら、髄液が漏れているのを

検査しつづけ3か月に1回やり続けたら

どうですか・・?。

・・・・・・・・・・・ながながと・・・・

否定的な意見をのべた挙句・・・・


争ったりしても無駄(←誰も争うつもりはない!)

だよ・・と言われたようです。





この病気に疲れたよ・・・・と少し意気消沈気味でした。

でも、言われるがまま帰ってきませんでした。




かーこは、自分のかつての症状を説明し

パッチ後の改善点を述べてきたようですが

疑心暗鬼のなか、どれだけそのお医者様が

聞く耳を持ってくれたかはさだかではありません。



患者の声を聞いてください。自分の正しいと

思うことが、もしかして正しくないかもしれない

という柔軟さも持ってほしいです。

いつか、時のながれのなかで

医学会のなかでも、あたりまえのように

この病が認められ、

患者が言葉の暴力で辛い思いをする

ことなく治療できますことを願います。

人生の山について

私は大学卒業後、
税理士事務所に勤めていました。
私が税理士になりたいと思ったきっかけも
その事務所勤務があったからです。

私が勤めていた
その事務所の先生は
人として暖かく尊敬できる方でした。
一度も声を荒げたこともなく
いつも穏やかで、優しく
従業員思いの素晴らしい先生でした。

いつごろからか、
私も将来、その先生みたいになりたいと
思うようになりました。

30歳を過ぎたころから
そろそろ勉強を始めないと
諦めなければならなくなると一大決心し
そんな素敵な事務所を退職しました。
31歳の専門学校生になったのです。

試験勉強、ホント大変でした。
スタートは勢いづいていましたが
3年後ゴールに辿り着く頃には
心身ともに疲れきっていました。
私にとってこの山は高かったように思います。

資格を取って、別の事務所に
再就職することになりました。
そこで、勤務中追突事故に遭って
脳脊髄液減少症になってしまったのです。
変てこな人生です。

病名がわからず、休職していたとき
どうしても以前お世話になった先生に
会いに行きたくなり
その頃はまだ動けていたので
相談がてら話にいきました。
事故後3ヶ月のことでした。

勤務中事故に遭って、体調崩して休んでいること
仕事ができる体調ではないのに
無理解の中にいて、苦しんでいること
色々と親身に聞いてくれました。
2時間くらい時間とってくれ
お話してくれました。
相変わらず、優しかったです。

ひどく精神的に疲れ果てていた私に
その先生がその時
「あなたは、追突されて終わるような人間じゃないよ。」
と言ってくれました。

ずっとその言葉が
病名がわかる前も、
わかった後、闘病生活中も
心の支えになっています。

最近は
「人生は長いから、しっかり休んで治しなさい。」
と言ってくれます。
「いつからでも、やろうと思えばできるから・・・。」
と励ましてもくれます。

私は、絶対治してみせます。
脳脊髄液減少症なんかに負けません。
必ず、過去のものにしてみせます。
不可抗力にも脳脊髄液減少症になって
私の人生が
追突事故の加害者によって終わりにされるなんて
まっぴらごめんです。
そんなの悔しすぎます。

追突されて終わる人生じゃないと
いってくれた言葉とおり
私は必ず克服します。

BP後2ヶ月で、目覚しい快復があります。
だから・・・
ゆっくり時間かけると
克服できるはずです。
それから・・・
自分が大好きな仕事をし、
尊敬する先生のような税理士になります。

人生には山も谷もあります。
決して良いことばかりでもなく
でも・・・悪いことばかりでもありません。
辛い経験や苦しい経験は
自分を大きく成長させる糧になります。

脳脊髄液減少症を克服するという山は
私にとっては未だ経験ないほど高い山だけど
必ずその山も乗り越えようと思うし
やっぱり、頑張って生きていこうと思います。


恵み

ふと、最近思う。

時速60kmのスピードで衝突されることが

高さ5Fから落下する衝撃と同じであると

すれば、かーこの命があるのは奇跡だと思う。



かーこは、事故の日、職場の車が使えなかったため、

家にある自分のワゴン車で事故にあった。

職場の車は小さく、もしその車に乗っていたら

命の保証はなかった。たまたま、職場の車ではなく

車体の大きい自家用車だったことが命拾いだった。




そして、山王病院にたどりつけたこと。

これは、私がたまたま見つけたホームページで

脳脊髄液減少症が目にとまり、この治療が

できる病院を探してたどりついた。



山王病院でも、たまたま1週間以内に入院でき、

患者の心の痛みを理解して下さる

高橋先生に治療をうけることができた。



そして、この治療をうけるためには

関東で療養が必要であり、

たまたま私の家が関東にあった。




これらのことが、たまたまで・・偶然だと

思うか、何らかの恵み だととらえるか

これは個々で違う。




私は、恵みだととらえたい。

事故が起こることが避けられない運命ならば、

そのなかでかーこに起こる

最悪の事態は避けられたからだ。



どのような出来事にも、とらえる側の心で

プラスにもマイナスにもとらえられる。


病、事故・・これについても

起こってしまった以上、それについて

やはり何かプラスのことをみつけることが

できるのではないか・・。失う

ものだけではないと思う。



2年前に天国へ旅立たれた友人

車椅子父さん (がつうさん)は、

身体の自由が徐々に奪われるという

難病を発症した。



彼の苦難と悲しみは想像を絶するものが

あると思う。でも、闘病の中、いつも人を

笑わせ、幼いお子様2人と奥様を大切にし、

ブログの中で他の難病の患者を支援していた。



そんな彼に心から共感する人がどんどん集まった。

彼が天国へ旅立った後も私には沢山の心の友が

残り、その友人の多くが、脳脊髄液減少症の

署名活動に協力してくださっている。


助け合いながら生きたい。



死の直前まで指が2本しか動かない状態の

がつうさんが、そんなことを一切口にせず

多くの人を助け、支援したのだから・・。



話を聞いてあげること、

時間を割いてあげること、

自分の知りえるプラスの情報を共有すること、


かーこは自分なりに体験したことを通して

かーこしかできないことを

していってほしい。


私も、出来ることを

していきたい



ブルーベリー

脳脊髄液減少症になって
目の症状が出る方が沢山います。
例えば、ピントが合わないまぶしい
急激な視力の低下等

私は脳脊髄液減少症になって
数え切れない症状をかかえたものの
幸い目の症状だけ実感として
あまり感じませんでした。
とはいえ、脳が拒絶反応をおこし
字が読めないなどの症状はありましたが・・・。

篠永先生が以前
この病気にはブルーベリーがいいと
発表されたようで
あっこがそれをみつけ、
東京に居るときから
あっこが買ってきてくれた
ブルーベリーを
毎日のように食べていました。
それまではほとんど食べたこと
なかったのですが
なかなか美味しくて・・・。

私はもともとあまり視力が
良いほうではありませんでした。
両目とも0.5くらいで
運転の時には
眼鏡をかけなければいけなくて、
夜なんかは全く見えないので
去年事故に遭う半年前に
眼鏡を新しくしました。

そして、今回免許の更新のとき
びっくりしました。
視力が両目とも1.0くらいになっており
確かに夜もかすむことなく
目が良く見えるのです。
だから、眼鏡不要で免許更新が
できてしまいました。
凄いことです。

ブルーベリーの中に含まれる
アントシアニンという成分が
視力回復や粘膜の修復に役立つみたいです。

高知の実家の近くのスーパーに
ブルーベリーが置いてなくて
最近はビルベリーという
サプリを飲んでいます。
ビルベリーに
疲労回復にも良いといわれる
コエンザイムQ10が入っているものです。
コエンザイムQ10はこの病気の方なら
聞いたことがあるのではないでしょうか??

ビルベリーはブルーベリーの3倍の
ポリフェノールやアントシアニンを
含んでいるようで
月にしても3000円くらいなので
このサプリを愛用することにしました。
それに、冷凍ブルーベリーとか
干しブルーベリーとかを
ヨーグルトに混ぜて食べたりしています。
値段も全然高くありません。

身体の中に入ってみるわけにもいかないので
硬膜修復に役立っているのかは
わかりませんが
脳脊髄液減少症患者の命の恩人でもある
篠永先生が仰っているので
間違いないと思います。

傷口修復や粘膜再生の効果があると
いわれているアントシアニンは
目だけではなく
身体の中にある傷口修復にも
効果があるような気がします。

目のほうは既に実感しています。
明らかに視力が上がりました。
まったく目のことに期待せず
この病気に良いと聞き
本当に美味しいから食べていた
ブルーベリーで
愛用期間3ヶ月にして
目にこのような効果があるとは
思いもよりませんでした。
これは、この病気の患者さんに
お知らせしてもいいのではないかと思います。



今を大切に・・・

先週土曜日は子供の小学校の音楽会でした。
今年はずっと体調不良が続いていたので
参観日や懇談会などの
通常の学校行事をはじめ
運動会も行けなかったので
久しぶりに母親らしいことをしてきました。

音楽会は約2時間くらいだったのですが
体力的には座り続けるの
ちょっと大変でした。
けれども、音楽会に行けて
本当に良かったです。
子供も私を真っ先に探したようで
私がいるのを確認して
嬉しかったみたいです・・・。
「お母さんを一番にみつけたよ!!」
と帰って言ってくれました。

脳脊髄液減少症になって
普通にできていたことが
自分でも知らない間に、
はっきりと気付くことなく
一つ一つできなくなっていきました。

自分が耐えられなくなるまで
我慢もしましたし、
私なりに治そうと
努力もしました。

それでも訳がわからないまま
どんどん悪くなりました。
そして、
具合が悪くて寝てばかりの間に
一つ一つ、
体の機能を失っていきました。
今思うと、本当に恐ろしいことです。

今は・・・
自分の体の不調だった原因が
髄液漏れだったとはっきりわかり、
してはいけないことと
しなくてはいけないことの
判断がつきます。
激しい運動がダメ、
水分補給が必要など・・・。

そう思うと・・・
病名がないって
本当に恐ろしいことですよね。

特に頑張りすぎる性格の人は
自分を追い詰めます。
本当は病気なのに
自分が悪いって・・・。

愛すべき家族からは
お医者さんが
何もないっていうからには
その人自身の問題として
その人の心の病として
攻められるのです。

私も病名がないとき
肩身の狭い思いをしていました。
近くにいる家族にすら
わかってもらえず・・・。
本当に悲しかったです。

私にとり
脳脊髄液減少症の診断・治療は
落ちていく坂道に
急ブレーキをかけてくれました。
そして、
再び人生の登山をはじめなさいと
いってくれるかのように
その最初の一歩を歩ませてくれました。

人生は色々あります。
病気になって
今日の幸せが
明日も明後日も続くなんて
そんなことは
誰にも約束されていない
ということにも気付きました。

私は、これから
ゆっくりゆっくり
今日という日を大切に
今に感謝しながら
生きていこうと思います。

そして、
人には優しくしていこうと思います。
自分が辛いとき
人の優しさが何よりも一番ありがたいと
気付いたから・・・。


理解しようと努力すること

先週、幼稚園のクラスの集まりがあり皆でランチを
しました。30人のクラスの23人のお母さんが
出席していました。その中に、先月途中退園された
Y君のお母様も来ていました。Y君は、家庭の事情で
保育園にいくことになり、退園されたと聞きました。

次女が言うには、Y君はとても優しくて怒られたことなんか
一度もない良い子だということです。

Y君のお母様は、少し遅れてきましたが、皆が食事を
している途中で、どなたかに促されてか、
自らかわかりませんが立ってY君の退園の理由を
説明されました。


それは、彼女がパニック障害になって、家族のこと、子供たち
(Y君5歳、3歳、1歳の全て男の子)のことを出来なくなって
しまったからだということでした。最近、離婚をされて
子供たちは両親に面倒をみてもらっているとのことでした。

彼女を見るに、痩せてしまったな・・という印象は
ありましたが一見元気そうにも見えました。
彼女の話が終わって、しばらくしてから
彼女と話をしました。
少しかーこと彼女が重なってしまいました。

彼女は、子供たちがいなければ自分は
死を選択していたといっていました。
子供に3時になって、ママお腹すいたといわれて
始めて自分が食事を朝から何も作っていないことを
気付き、呼吸困難になると、5歳のY君がいそいで
ママを助けにくる・・ということを話していました。
そんなことを自分が幼い子供たちにさせていることに
非常に責任を感じてしまうと言っていました。
年老いた両親に、幼い子供を3人任せていることも
申し訳ないと言っていました。
私は、・・・ただ聞いてあげました。

彼女が一番辛かったこと、それは、元気そうに
みえるから怠けていると言われてしまうことだそうです。
最近は、統合失調症の薬が効いて
こんなに多くの人のところに来ることが
できたけれど、1週間前は
不安で絶対来られなかったと言っていました。

かーこはある時から、医者の所に行くのが
怖くなっていました。
一見元気そう・・に見え、怠けている・・嘘をいっている・・と
言われる不安からでした。
どうせ行っても、異常なしといわれるからと
半ばあきらめもありました。話をきいてくれ、
ある程度効果もある鍼治療に切り替えたのです。

脳脊髄液減少症の人は、パニック障害にもなる・・
パニック障害と症状が似ていると聞いたことがあります。
脳脊髄液減少症を発症し、その後異常なしと言われて、
パニック障害を併発し、また鬱になる人
もいます。
理解されない苦痛と体の苦痛により心がひどく
痛めつけられるのです。

Yくんのお母さんと最後に手を握ってわかれました。
彼女とどうしても話したくて私が話しかけた行動が
正しかったかどうかさえわかりません。
ただ、話を聞いてあげたかった。・・それだけです。

どんな人でも、心や体がとことんまで弱くなり
傷つくことがあります。
底なし沼のように感じる心の闇、体の苦痛などを経験すると、
人は強くなれないし、かーここのような快活な性格の
持ち主でさえ、顔で笑っているような時でも、
ものすごい悲しみを背中から感じさせて
いました。

いったんそうなったら、抜け出すのにも時間はかかります。
周りの理解があれば患者は、すこし楽になると思います。
不理解だと抜け出したくても、悲しみが抜け出そうとする力を
阻止してしまうと思うのです。

見た目ではなく、その人の体の中で起こっている
ものすごく不快な状況・・抜け出したいと切望し
葛藤する状況に、健康な周りの家族や
人は推測し、思いを馳せてあげることが
大切だと思いました。

言葉・・慰めることもできる一方、刃になることもあり、
私自身気をつけなければならないと感じています。

脳脊髄液減少症に光を・・・

高知に帰って、早くも2週間になろうとしています。
帰ってから、免許の更新や買い物、それから
これから通う病院を決めたりと
時間があっという間に過ぎていきました。

私は今、家から車で15分くらいのところにある
脳神経外科へ通うことにしました。
高知では割と大きい病院です。

実はそこの病院に、今年3月にも体調不良で
行ったことがあります。
その時は、MRIを撮り、院長先生に
「異常ありません。運動してください。」
と言われました(苦笑)
そして、真面目にも私運動していました・・・。

そして、6月に再度行ったときに
私があまりに酷い状態だったもので
先生が驚いて、
「毎日でも点滴に来なさい。」
といってくれたという経緯があります。

点滴を断られた整形外科に再び行く勇気もなく
そういう経過を知ってくれているので
そこに通ってみようかと思い決めました。

ここ最近バケツをひっくり返したような雨が
突然降り出したりして、
正直今の私の体にはきついものがあります。
だから、点滴してもらったりして
なんとか日々を乗り越えています。

私はBPの効果をとても感じています。
ただ、回復にとても時間がかかる
病気だと改めて感じています。

どんな病気もそうだと思いますが
早期発見・早期治療が
本当に重要だと思います。

この病気にかぎっては
患者にとっても、社会にとっても
そして、保険会社にとっても
絶対いいのです。

人の体はそれぞれで
治療が遅れ、
体がダメージを受けすぎた方などは
残念なことにこの病気の
最後の砦のように考えられている
BPの治療効果を実感できない方も
いらっしゃると思います。

けれども、必ず他の治療法や薬があるはずです。
プラセンタなどはその一例かもしれません。
残念ながら、高知にはプラセンタは
注射しかありません・・・。
この病気によく効く薬も
今は知られていないだけで必ずあると
私は思います。


とにかく、この病気に
光があたってほしいと願います。
多くの患者が救われます。
日々、辛い体で皆なんとか耐えています。
日本は人の命を大切にする国であって
ほしいと思います。


署名活動・・・中間報告

私の母は、祖母(姑)と同居して、
92歳で祖母が永眠するまで介護しました。
誰のこともわからなくて、息子である父のことも
わからなくなっても、祖母は母の名前だけは
覚えていました。

そんな母ですから、かーこが事故にあう前は
仕事が忙しいかーこの家事・育児を
かなり協力していました。

そして、かーこの事故、急激な体調不良。
今はすべてを母に任せて生活せざるをえなく
なりました。
仕方がないことです。
かーこのことも心配ですが、
正直、母のことも心配になります。
大丈夫かなぁ…。もう若くないし…。

かーこは、寒くなるなか体調が下降気味の
ようです。この病気は一喜一憂しないでいないと
といつも思っています。
3歩進んで2歩さがる・・一進一退の体調を繰り返す
病気です。でも、それでも後退しないで少しずつは
良くなると信じています。そうだよね・・かーこ!

ところで、署名については、現時点で私とかーこの
知人からのぶんだけなのですが、
私の手元に1260名、実家も600名を超す
方に協力してもらいました。
有難いことです。

まだ半分くらいの方の郵送待ちなので
もう少しあるとおもいます。
中間発表ということで、12月末には
正確にご協力いただきました皆様にお礼を
かねて報告させていただきます。

本当にありがとうございました。

免許更新しました

先日、免許の更新に行ってきました。
私は無事故・無違反のゴールドです。
病気になって、免許の更新もままならず、
あと一週間で切れるという
ぎりぎりのところで免許更新ができました。
5年に1回の更新が、よりにもよって、今年とは・・・(笑)

もちろん、まだ自分で運転して免許センターに
行くことはできず、母に連れて行ってもらいました。
今のところ、私、要介護です。
お母さん、ごめんなさい。暫く迷惑をおかけします・・・。

ゴールドでも30分の優良講習があり、
今の私には30分講義を聴くということが至難の業でした。
苦痛の時間、パラパラと教習の本をめくっていると
こんなページが飛び込んできました。

知っておきたい交通ルールの25ページ抜粋
(3)衝撃力
時速60kmでコンクリート壁に衝突した場合は
約14メートルの高さ(ビル5階程度)から落ちたのと
同じ程度の衝撃力があります・・・。

そのページを読んで私は
追突事故や衝突事故の場合の身体に受ける衝撃は
想像をはるかに超えるものがあるという理解に達しました。
そして、追突事故の被害者は、不意打ちにより
相当な衝撃を身体に受けていると考えて
おかしくないと確信しました。

そうなったら、いてもたってもたまらず、
講義が終わって免許書の交付が済んでから
講義をしてくださった先生をつかまえて

「さきほど、死亡事故のことが多く
取り上げられていましたが
よくある追突事故であっても
被害者の人生を大きく変えることがあるということを
近々、自分の経験も踏まえた資料を送りますので
皆さんにこれから教えていただきたいので
どうぞ宜しくお願いします。」

と言ってきました。
そしたら、呆気にとられた感じでしたが
どうぞ送ってくださいと仰って下さいました。

早速帰って、その先生にお手紙を書き、
それに脳脊髄液減少症の病気の説明を書いたもの、
そして、新聞記事のコピーなど
簡単に理解できる資料を郵送しました。
自分のできることから少しずつ・・・。
どうか、どうか社交辞令でありませんように・・・。
ゴミ箱行きになりませんようにと祈りつつ・・・。

免許センターには交通事故と
脳脊髄液減少症について説明したので
近々、子供が通っている小学校に行って
学校事故と脳脊髄液減少症について
話しに行きたいと考えています。
ゆっくりゆっくり、自分の体調と相談しながらですが・・・。

免許の更新が済み、フラフラになりながら外に出ると
母が見たこともない女性とお話をしていました。
最初は母の知り合いなのかな・・・?
と思い挨拶しましたが
私を待っている間に初めて会った方とのことでした。

母は昔から、友好的で、友人も多く
人が集まってくるタイプの人間です。
「誰かお待ちですか?」
と声をかけられたことがきっかけで
「実は娘が交通事故に遭い、車の運転が今はできず、
私がかわりに乗せてきたの・・・。」
という会話から始まったようです

話しているのを聞いていると、
その女性は、現在42歳。
12年前に交通事故に遭い、
その後、体中が痛み2年くらいは
苦しんで苦しんで苦しみぬいて
地獄のような日々を送ったとのことでした。

現在は完全ではないものの
なんとか日々を過ごせているらしいです。
しかし、まだまだ痛みを抱えて生きているし、
私が見てもわかる、びっこをひきながらの身体でした。

話していると、その女性はポロポロ辛かった日々のことを
涙ながらに私に語り、悔しかったことや悲しかったことを
とめどなく話すのです。
痛くて病院に通っているにもかかわらず、
保険会社が病院に来て
お金がほしいから病院に通っているといわれ
あげくに、調停にかけられ示談を余儀なくされ
後遺症の認定も取れず、
精神病のレッテルを貼られたとのことでした。
私は同じ痛みを経験したものとして
彼女の悲しみを心から理解することができた気がしました。

そして、別れのときは私から
「ハグしましょう」
といって抱き合い、
「お互い頑張って生きていきましょうね。」
と泣きながらしっかりと勇気付けあいました。

帰りの車で、母親に、
「今日のあの女性とは
きっと神様に会わされたのね。」
と話して帰りました。

以前なら、何気なく暮らして
人の苦しみとか、全く気付かず生活していたけど
世の中には、弱者って沢山いるし
どうしようもない悲しみを抱え生活している方がいて
それでも、日々皆一生懸命に生きている
ということに改めて気付かせてもらえた一日でした。



笑顔で帰りました。

11月1日にかーこは家族のもとに帰りました。
高校卒業後、二人ですごした大学生のとき
以来、こんなふうにまたかーこと生活できる
とは思ってもいませんでした。

振り返ると、4か月とても長かったような、
短かったような・・・そんな時間でした。

かーこは辛いときを経験し、快復を経験し、
同じ病気の人をたくさん知り、
そして、この病気を知りました。
私も、かーこのそばでこの病気を
知りました。

署名活動をつうじて、
多くの友人、そのご家族、
友人のお父様で、整形外科の院長をされている
先生までが署名してくださっています。
交通事故で最初に行くには、整形外科なので、
本当に有難いと思います。

また、協力してくださる方のなかには、
命と向き合う難病を患っているかたや、
難病を経験している方も多くいます。
皆様の苦しみがなくなりますようにと
祈らずにはいられません。

ご協力してくださっています皆様
本当に、ありがとうございます。

この署名活動については、明美さんの
ブログより知りました。明美さんが
取材をうけて、静岡の新聞にのりました。
来年早々に、皆さんから集まった
署名を国に届けたいと思っています。


かーこが、命のリミット・・と本当に消え入る
声で電話をかけてきた6月泣き顔
7月早々にわたしのところへきて、
その後、2度の治療をうけ、
11月、笑顔笑顔で帰って行った姿を
私はきっと一生忘れないと思います。

今、晴れ晴れとした気持ちで思うのは

かーこを連れてきて良かった・・
生きていてくれて良かった・・・

・・ということです。

急な坂道を落ちていったかーこが
これからは、ゆっくりゆっくり、
たまには休みながら、こんどは
大切な家族と手をつなぎ
登っていってほしいと思います。
プロフィール

あっこ&かーこ

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