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かーこの日記③

ひき続き脳脊髄液減少患者のために
署名をお願いいたします。記入が埋まらなくても
大丈夫です。よろしくお願いいたします。

脳脊髄液減少症 署名運動

今日は何か月ぶりになるかしら・・・
髪を切りに行きます。半年・・・?いや事故以来・・・?
いつから切っていないか忘れてしまいました(笑)
それどころではなかったですもの・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月9日診断がついて7月13日入院が決まり、
主人が急きょ介護休暇をとって
東京に来て入院に付き添ってくれることになった。

あっこも赤ちゃんがいて忙しく、
私も一人ではとても病院に行くことが
できなくなっていたので夫の支えは有難かった。

高橋医師に主人が
「僕も反省することが色々あります・・・。」
と言っているのを、
私は病室のベッドに横になりながら聞いていた。

7月13日RIシンチ検査。
ずっと呼吸が乱れ、深呼吸で平静を保っていた。

私にとりRIシンチ検査はとても痛い検査だった。
高橋医師は私の不安を取り除いてくれようと
色々な話をしてくれた。
学生時代、私も関東に住んでいたので、
住んでいた駅の話をすると、
そこに先生も子供さんと週末に行ったりするよ・・・
とか。
リラックスできるように・・・。
ホントお優しい。

RIシンチで造影剤を入れてからは、
何時間かごとに別の階の検査室へ
写真を撮りに行かなくてはならず、
そのたびに看護師さんに手を借りて連れて行ってもらった。
その時の私にとっては
その移動も含めしんどい検査だった。
けれど、本当の検査がスタートしたということを実感した。

7月14日朝、RIシンチの検査結果の説明があり、
高橋医師が
「良かったですね、確実に診断がつきましたよ。」
と仰ってくれ、
心から「有難うございます。」と述べた。
呼吸は相変わらず乱れていて、深呼吸でつないでいた。

そして、ついにBPへ。
RIシンチ検査が痛かったので覚悟していた。
これしか今の苦しみから抜け出す方法はないと
自分に言い聞かせていた。

点滴針から自己血を抜いた。
女性は普通20ml入れるらしいが
先生が25ml抜くようにと看護師さんに指示されていた。
どうも私の血液が取りにくかったようで
看護師さんは
「20mlでダメですか、取れませんけど。」
と先生に聞いていたが
はっきりと高橋医師は
「ダメだ、25ml取って。」
と仰った。
そこには、この治療で治してあげたいと願う
先生の強い意志が感じられた。

BPはRIシンチ検査ほど痛くなかった。
血液はゆっくり私の身体に入っていった。

血液が入っていくと同時に、
首の骨が整列する感じと耳がツーンとする感じ、
そして、頭がてっぺんにくっつく感じがして、
これが噂のバルーン現象か・・・と変に納得した。

そして、全身の痛みがごく短い時間だったが消えた。

BPが終わって涙がとめどなく流れ、
看護師さんの手を握らせてもらった。

この7か月の日々がソウマトウのように頭を駆け巡り、
この日を迎えられたこと、
今日、先生に命をいただいたことに
説明できない感情が溢れて涙が止まらなかった。

BP後うつ伏せ寝から仰向け寝に変え安静にしていると
主人が病室へ入ってきた。
やっと終わってほっとしたと報告した。
その日の夕方にはバルーン現象は消え
体中が再び痛くなった。

7月15日、体も頭も痛く、熱っぽくもあった。
そして、異常なほどののどの渇きを経験した。
点滴もしているのに飲んでも飲んでものどが渇く。
のどの渇きはその後も長い間続いた。

7月16日午後退院した。
症状としては、これで退院して大丈夫???
というほど酷かった。
もちろん一人で歩けるわけでもなく
フラフラと夫に支えられタクシーであっこの家に戻った。

あっこの家に帰って、
あっこの旦那さんが買ってきてくれていた本
2007年脳脊髄液減少症データ集3冊と
否定派の医師が書かれた低髄液圧症候群の本を
主人がものすごい勢いで読んでいた。

そして、私の数値を他のデータと比較し、
彼自身で判断し、

「こんなことがあっていいのか・・・許せない・・・。」

とポツリと言った。


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