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かーこの日記 ①

ひき続き脳脊髄液減少患者のために
署名をお願いいたします。記入が埋まらなくても
大丈夫です。よろしくお願いいたします。

脳脊髄液減少症 署名運動


今日から、数日にわけて、かーこが自分の経験と、気持ちを
語りたいといっていますので、お付き合いくださいね。・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨年12月15日、出張先から会社へ帰る途中、
見通しの良い直線道路で追突事故に遭った。
加害者はノーブレーキだったのでかなりの
スピードが出ていたと思う。
その時の衝撃は凄かったが事故直後の
私の身体は痛みもなく、大丈夫ですよと
言ってそのまま帰社した。

私の症状は事故の翌日の気持ち悪さと
手のしびれから始まった。
私自身、事故は初めてだったので、
何故、事故直後でなく翌日からこのような
症状が出てくるのかわからなかった。

そして、翌々日になると後頭部から
脳出血しているのではないかと思うほどの
激痛が走りはじめ首も肩もパンパンで、
むち打ちってこんな症状なのかと恐ろしくなった。

近くの病院で湿布をもらい貼りまくった。
すると、その夜けいれんが起こり、
家の廊下で倒れてしまった。

翌朝、夫が心配し、仕事を休んで
大きな総合病院へ連れて行ってくれた。
MRI,CT,レントゲンの検査結果は異常なし、
仕事も行けますよと言われ、頭がパニックになった。
ありえないと・・・。

夫に支えられフラフラになりながら帰宅した。
それから、私は何もできなくなり
当分子供を実家に預けることにした。

年末に予定していた家族スキー旅行もキャンセルした。
私は倒れるように年末年始寝続けた。
その間、誰からも水分補給のアドバイスはなく、
もともと水分を多く取る人間でなかった為、
今思うと髄液漏れ放題で補充もなくほっとかれたと・・・(苦笑)。

頭痛は激しく、どこを枕に当てて良いか分からないほどで、
うつ伏せ寝して頭中冷やしたタオルを巻いたりして
過ごしていた。
体重は事故後一週間で3Kg減少した。

事故から一か月ほどして脳が下垂して
安定してきたのだろうか・・・?
脳出血を疑った時の痛みは軽減されてきた。
しかし、頭がフワフワして気持ち悪く、
何にも無気力で、相変わらず頭・首・肩の
痛みは続いていた。

いつかは治るだろう、
思えば事故後の脳出血と思った時よりは
痛みも楽かもしれない、きっと良くなってきているのだと
自分に言い聞かせていた。

3か月ほどたつと過呼吸になることがしばしばあり、
息ができない自分の身体が恐ろしくなってきた。
それに痛みはずっと続いていて、
痛くないという状態を忘れている自分がいた。
(これは現在も続いている・・・)

息ができないことを主治医に話すと、
社会復帰が遅れている精神的不安からだと言われた。

私も退職すれば休んで人に迷惑をかけている
という心の重りから解放されると、
事故後4か月で仕事を退職した。

事故後半年過ぎると、今までの症状に加え
軽い荷物すら持つことができなくなった。
握力検査で医師に「握力計が持てません」と
言うと非常に困った顔をされた。
握力は両方2になっていた。
2の握力もないと私は思った。
何故なら握った感覚が全くないから・・・。

痛みは体中に飛び始めた。
手の指何本とか、腰、太もも、右足全部など・・・。
それに加え頭・首・肩はガンガン,パンパンだった。
まさしく全身痛・・・。

座位を保つことができなくなり、
常に横になる状態が続いた。
その頃から、音が気持ち悪くなってきた。
早口でまくしたてられたりすると吐きそうになった。
そして、新聞が読めない自分に気付き愕然とした。
活字が理解できない。文字が追えない・・・。
仕事をしていく上で致命傷だと悲しく絶望的になった。

頭痛も激しくなり、
脳内を拳で握りしめられているように感じ、
痛みで眠れないこともしばしばとなった。

効き目がほとんどなくなってきた鎮痛剤は1日4回に増え、
その量もすごいことになっていた。
その時の私の身体は人間の機能をなしていなかったが、
自分にはなすすべがなかった。

父はむち打ちで死んだ人はいないという横で、
母は私が死んでしまうとオロオロしていた。
私の身体は落ちるだけ落ちた。
一人で寝ていると涙が流れた。
何でこんなことになったのか訳が分からず・・・。

6月中旬、あっこに電話した。
「命のリミット・・・。助けて」と。
こうして、あっこが調べてくれた。

すると、私から聞く症状と脳脊髄液減少症の症状が
あまりにも酷似していることに気付き、
山王病院への手続きをしてくれることになった。

その時の私は、PCを見ることも
気持ち悪くできなくなっており、
ましてや自分の症状を書いて
自分で郵送するということは
もはやできない状態になっていた。

両親はPCをほとんどしない。
主人はその時まだ私の病気について
理解してくれていなかったので、
劇悪化から家事を放棄して
子供とともに実家に泊まるようになった
私にかなりの不信感を抱いていた。

病名がつかないままならば
家庭崩壊は避けられなかったかもしれない。

東京に発つ日の前日、何週間かぶりに
私は夫と自宅に帰った。
その時私の症状を目の当たりにした夫は
初めて事の重大さに気付いたという様子だった。

「気をしっかり持つよう、
子供の母親であることを忘れるな」と
何度も何度も言った。

そして、

「かーこはまだ人生の半分もいきていないよ・・・。」と。

その言葉が何度も私の頭をこだました。
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