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人生と向き合うチャンスは思いがけず与えられる

関東は長雨が続き、すっかり秋の入口に差し掛かったような気温になりました。朝晩の気温の変化に風邪などひきませんように。
あきちゃん先生と一緒に紹介しています、樋野興夫先生の著書「いい覚悟でいきる」も今日で最後となります。あきちゃん先生の毎回の投稿に、心より感謝もうしあげます。そして、この本を紹介してくださいまして、本当にありがとうございました。

それでは、あきちゃん先生のコメントより紹介します!


脳脊髄液減少症について知識を得て、高橋先生や関係者の方とお知り合いになれたのも、このブログに書き込ませていただいているのも、樋野先生のご著書に出会えたのも…、すべて、私が悪性腫瘍に罹ったればこそです。

さて、本文です。(以下、引用。)

誰にでも。自分の人生と向き合うチャンスは思いがけず与えられます。それががんや病気を通してであればなおのこと、これからの人生に確かな意味を見出すきっかけにしてほしいと思います。たとえ別れという悲哀の使命からもまた学ぶことはあります。そこから何か自分にできることに行き着けば、今度は、世に与える人生を得るチャンスにもにもなるのですから。
(以上)

樋野先生のご著書の末尾をそのままご紹介しました。
ほんとうに、このようになりたいものだと、改めて深く思います。
このあと
「患者さんが笑顔を取り戻すために医療の革新をめざして」というあとがきがあるのですが、わたくしの母の郷里である万座温泉に療養施設を建立したいとのお考えがあるようです。

ぜひ、実現していただければ、群馬県人としても鼻が高いです。

この著書を、少なくても、わたくしの紹介で、あっこ様と高橋先生に読んでいただけたことは、私にとってこの上ない喜びです。
この場をお借りして、厚くお礼を申し上げます。

2015.8.26 (完)


ここまで。

>自分の人生と向き合うチャンスは思いがけず与えられます。それががんや病気を通してであればなおのこと、これからの人生に確かな意味を見出すきっかけにしてほしいと思います。

自分を見つめることの大切さを最後に語っていることは、深い意味があるように思います。たとえ困難なことであろうと、その経験をもって自分を見つめることの意義を樋野先生は語ってくださっているように思います。

自分の人生は唯一無二のものなので、他人と比較することなく、自分なりの意味を見出すことができたならば、そのきっかけが病やガンであったとしても、そのきっかけはチャンスとなるのだとおっしゃっています。このような考えに、わたしも近づきたいと思いました。

どんな経験もチャンスとして、自分を高めることができるといいけれど、人間はそんなに強くないから、経験によって苦しんだり、悲しんだりします。しかし、そういう時はまた、誰かのあたたかさに触れる機会であったりします。泣きたいときは泣いていいのです。 どんな時も大切にすることができると、生きることに深い年輪が刻まれる気がします。そして、優しい瞳の奥にそれは実は見える形でも残るのではないかと感じています。

あきちゃん先生、本当に長い間ありがとうございました。私たちの拙いブログに多くの潤いを与えてくださいました。不定期ブログではありますが、今後ともよろしくお願い申し上げます!
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病床にあってもあなたは役立っている

8月も半ばを過ぎましたね。子供たちも宿題の残りをしあげつつのんびりとできるこの時期を楽しんでいるようです。

それでは、あきちゃん先生のコメントからご紹介します!

さて本題です。いよいよ、あと2節を残すだけとなりました。
(以下、引用)


見舞いに来てくれた人や接してくれる人を、逆に力づけ、元気にして帰すことができるのです。そして、生きる意味や死について考える機会を与えているのだということです。

あなたが、もし、何かをしてもらうだけの立場になったとき、このことを忘れないでください。
まさに、 to do (何をするか)よりもto be(どうあるか)です。これが、いきていること、存在することの意義だと感じずにはいられません。


(以上)

病気、特に長期の療養を要する症状を持つと、言いようのない無力感?のようなものが襲ってくと事が多いと思います。

私も、4度の長期療養休暇で、「おみそ恐怖症」(笑)になったことは、
前述したとおりです。
この時に、樋野先生のお言葉を知っていれば…
病気の私ですら、だれかの励みになることもできるなんて…

考えてみれば、「老い」や「死」を他人に考えさせるほど、相手の「生」にとって役立つことはないですよね。
究極の「リフレーミング」ですよね。


ここまで。



実は、知人からコーチングをうけたことがあります。その方は、人はto be(どうあるか)よりも、to do (何をするか)だと私に告げました。行動が大切だということを教えてくれたんです。そして、その言葉は私に大きく影響を与えたことも事実です。


しかし、樋野先生の本を読んだとき、まったく逆のことが指摘されていたので、その真意を私なりに考えるきっかけになりました。

to be(どうあるか)ということは、人の心に深く関係があり、to do (何をするか)というのは、そこから派生するもののように感じ取りました。つまり、基本がto be(どうあるか)ではないかと思いました。


確かに、病や老は、行動範囲を狭めてしまいます。とくに行動派の人はto do (何をするか)ができなくなることで、存在意義を見失いかけることもあるかもしれません。しかし、実はそういう時こそ、基本である、to be(どうあるか)に立ち返り、しっかりと見つめる大切な時なのかもしれません。

コーチングでいうところの、to do(何をするか)は、社会的な成功にも繋がる視点であり、それを通して自分を成長させることはもちろんできると思います。そして、そういう行動により、思考が深まり、あるべき姿=to be(どうあるか)に深く影響を与え成長できることもあります。

しかしながら、たとえ行動が病などにより制限されたときに、そういう過酷な中でも、to  be(どうあるか)を深く見つめることをし、限られた行動範囲のなかでも、人としてあるべき姿を示すことができるならば、その姿そのものが行動のようなものであり、周りの人への影響も大きいと思うのです。

人は存在するだけて素晴らしいという樋野先生の視点にまったく同感です。そして、to be(どうあるか)ということに磨きをかけることが生きることの大きな意味のような気もしています。

残るところあと一つとなりました。

寂しくはありますが、あきちゃん先生には、お願いをしてtwinsのブログに長らくお付き合い頂きましたことに感謝申し上げます。

なすべきことをなそうとする愛

暑い日がつづきますね。エアコンから離れられないだけでなく、日中は外にいくのを憚らざるをえないほどの暑さです。先日は軽井沢に家族で小旅行をしてきたのですが、避暑地が避暑地ではなかったです。ただ、朝晩は涼しく、日中も森の木陰を散策するのはかろうじてできる気温でしたので、なんとかリフレッシュできました。

それでは、あきちゃん先生のコメントを紹介します!

本症の患者ご家族や御本人の体験談、高橋先生の病態の講義と「病気に負けないポジティブライフ」のご講演でした。
いつもながらの流暢なお話で、「過去にこだわるのではなく、今できることに目を(気持ちを)向けるという内容は、実に説得力があるお話でした。

さて、本題です。(以下、引用)
「なすべきこと」とは、自分に与えられた役割と考えればいいでしょう。それはだれかに強制されたわけでも、やらなければならないという義務でもでもなく、評価や称賛を得るためにするものでもない。今自分にできる喜びとしてやることだと私は考えています。そのための原動力になる愛、大きな意味では人間愛が、なすべきことをなそうとする愛、といったところでしょうか。
 どんな状況や境遇にあっても、自分になすべきことがある人間は強い、とがん哲学外来を続けてきて思います。そういう患者さんは、試練という事実を直視する強さや、大きいことは大きく、小さいことは小さく、大切なことと今はどうでもいいと思えることを判断する胆力があるのです。そして、自分を支えてくれる家族を巻き込む大きな愛を感じます。(以上)

あと数節を残すばかりになって、樋野先生の内容が、いよいよ哲学的になっていますね。笑
ただ、
>試練という事実を直視する強さや、大きいことは大きく、小さいことは小さく、大切なことと今はどうでもいいと思えることを判断する胆力があるのです。

ここのところだけは、誤らないようにしなければいけないと私も強く思います。
「病の気」になると、一番狂うのが、体調よりも、「尋常な判断力」です。
そこさえ誤らないようにすれば、たとえ「病の気」にはなっても、「気の病」にはならないような気がしますし、そうありたいです。


ここまで。

>今自分にできる喜びとしてやることだと私は考えています。そのための原動力になる愛、大きな意味では人間愛が、なすべきことをなそうとする愛、といったところでしょうか。

高橋先生の講演会にあきちゃん先生が参加されたのですね。高橋先生は、なすべきことをなそうと懸命に行動されている医師なのだと尊敬申し上げます。

今自分に出来ること、大きなことでなくても、生きるという実感を得られること、それはこの章のテーマ「与える」ことにも繋がっていると思います。等身大の自分の心が、一番喜ぶことをすることができるといいなと思います。

樋野先生がおっしゃる、原動力になる愛、人間愛、なすべきことをなそうとする愛、これらは漠然としていて掴みどころがないけれども、人間の根幹をしっかり支えるものだとも思えます。自分がされて嫌なことはしない。自分が言われて嫌なことは言わない。これも、愛だと思います。

このテーマを読んでいると、私には、母がふと心に浮かびます。
私は神様を信じていて、それは母の影響が大きいです。母は常に、心が喜ぶことをしなさいと言います。神様は見ている。そして、悪いことは天に向かってつばを吐きかけることだから、結局は自分に戻ってくるとも言います。自分がなすべきことが、心が喜ぶことであるなら、それは誰に判断されなくとも良いのだと。近所の臭いドブの掃除をしたり、見ず知らずの人が軒下で雨宿りをしていると家のビニール傘を持っていき渡そうとする母、友達が肩こりで辛そうにしていたら、そこにとんで行って肩をもんであげるような母ですから、自分もああいうふうになりたいな・・と思います。

小さいことでも、なにか心が愛で満たされる行動を出来るようにしたいです。背伸びしたらしんどくなるかもなので、肩肘はらずに、まずは笑顔や笑いを与えるのも良いですね。

>「病の気」になると、一番狂うのが、体調よりも、「尋常な判断力」です。
そこさえ誤らないようにすれば、たとえ「病の気」にはなっても、「気の病」にはならないような気がしますし、そうありたいです。

「気の病」に飲み込まれる人は病になった人の中に少なくはないと思います。だからこそ、あきちゃん先生のように、そこを意識されることはとても大切だと思います。それまでが健康であればあるほど、病になったときのギャップは大きいです。だからこそ、判断力も狂ってしまったりするかもしれません。人間は弱いですから、「気の病」になりそうなときには、このようなあきちゃん先生の考えを参考にされてみてもよいと思います。


余計なお節介よりも偉大なるお節介を

暑い日が続きますね。蝉の声の響きが灼熱の季節に本当に似合います。ただ、脱水を起こしやすい季節ですので、皆様どうぞお気をつけください!
それでは、あきちゃん先生のコメントを紹介します。

さて、本題です。この節の「偉大なるお節介」については、前述されており、樋野先生が、あらためて力説なさりたい部分と感じました。(以下、引用。)

「だから、ぼくだって食べたいのはやまやまです。でも食欲はないし、正直食べられない。ところが、妻の『食べろ食べろ』が止まない。食事のたびに、顔を見るたびに、『食べて体力をつけましょう。さあ、少しでもいいから食べて』です。しだいに私は苦痛でしかたなくなりました。いや、言葉の暴力でしかないとまで思うようになりました。」

奥さんは、食べようとしても食べられない夫の苦しみを本当に理解しているでしょうか。実は、自分の気持ちを押しつけるだけの余計なお節介をしていることに気づいていないのです。

こんな夫婦もいます。
奥さんが病気で倒れました。
男というのは往々にして、妻というものはいつも元気ではつらつとしていて、自分の世話を焼いてくれるものと思いこんでいるようです。だから、病気になった妻にどう対応していいのかわからなくなってこんらんしてしまうのでしょう。
御主人は、やがてこれではいけないと気づいたようです。すると今度は、
「早く治して、一緒に旅行に行こう」
「治療法を変えたらどうだ。テレビでこんな情報をやっていたぞ」
「頑張れ頑張れ」

この場合も、自分の気持ちを押しつける余分なお節介しかできない夫気持ちのずれを感じます。

同じお節介なら、余計なお節介よりも偉大なるお節介をしましょう。他人の必要に共感することが偉大なるお節介、たとえ、相手が間違っていても余計な正論に走らず、よしと受容する心構えが大切です。
いたわりの言葉は、最小限でいいのです。偉大なるお節介は、同じ部屋にいて寄り添ってあげるだけでも十分であると私は思います。

自分ができないことがあることで、それを支えようと誰かが協力する。お互いの弱さや足りなさを補い合うことで人間として大きく成長していきます。
(以上)

はじめて、長期入院したばかりのとき、見舞いの言葉は、
「早く良くなってください。」の圧倒的な嵐でした。
それまで、年休も「完全不消化」だった私ですから、「すぐに治るだろう」ぐらいみんなが思っていたのでしょう。
しかし、結局は、約半年間の長期療養になりました。私には、入院前から、長期になることが予告されていましたから。

二回目の療養休暇のときには、「こちらのことは、気にしなくていいですから、ゆっくり治してください。」という言葉が圧倒的に多くなりました。
しかし、職場の同僚も生徒も、「気にしなくていい」と言っていた割には、学校の様子を逐一知らせてくれたのです。「お見舞いの整理券」を出したのは、前述したとおりです。
わたしは、すごく温かいものを感じました。そして、そのことが、復帰への大きなモチベーションになりました。

「余計なお節介から偉大なるお節介への変遷」を経験できたのだと思います。「悪性腫瘍の、しかも、ステージⅢ」という決して看過できない状況ではありましたが、私は、自分のなかに幸せを感じました。



ここまで


患者と家族、患者と友人、患者と同僚などそこには立場というものがあり、いつどこで自分がどっちの立場に立つかは判らないものです。そして、その立場にならないとわからない事は山ほどあって、経験者の具体的な話はとても視野を広げてくれるものだと思います。

自分の生を一生懸命生きているのと同じく、他者もその生を一生懸命生きている。 相手の行動が自分の意に沿わないようなものだったときに、どういう思いがあってそういう行動をするのかと想像してみること、答えがでないとしても、もしかしたらその沿わない行動の背景に自分の余計なお節介がなかったのかと自省すること、そして、思いつくところがあるとしたら慎むこと、など必要なことかもしれないなと思います。

100%自分に起こることの責任は自分にある、もしくは、自分の「ため」にあると考えるのが良いというのを聞いたことがあります。

「余計なお節介」をされてしまった、してしまったら、それを改善して「偉大なるお節介」について考え、行動できるための飛躍するチャンスを与えてもらったと捉えると良いかもしれませんね。

寄り添う心は言葉を超える

梅雨が明けると、猛烈な暑さが到来しましたね。エアコンなしでは過ごせない気温になりましたが、冷えすぎて体がだるくなってしまったり食欲が落ちたりしていませんか? 足の冷えには注意しましょうね!それではあきちゃん先生のコメントを紹介します!


さて、本題です。(以下、引用)

がん哲学外来を訪ねてくる人は、言葉によって、会話によって傷ついた経験を持つ人がとても多いように感じます。

まず、患者さんは自身の病気や治療にについての不安を診療に当たった医師に相談できずにいます。
また、家族の何げないひと言が思いやりに欠けた言葉に聞こえたり、逆に、周りの人の気を遣いすぎる言葉に傷ついたりすることもあります。

あなたの身近に苦しむ人がいたら、余計な言葉をかけることよりもまず、寄り添ってみてはいかがでしょう。支えてあげる、などという大上段に構えるのではなく、隣にさりげなく寄り添えばいいのです。

寄り添う心には言葉を超える喜びを互いにもたらす力がきっとある。そのように私は感じているのです。
(以上)

本書は、がん患者を意識して書かれた書籍なのですが、このことは、すべての長期にわたる治療を必要とする患者さんに共通して必要と考えます。

私自身のことを考えると、このことは、かなりの程度実現されているように感じ、周囲の気遣い?に感謝せずには居られません。

自分の人生と他人の人生を混同しないようにすること…簡単なようで案外できていないものなのかもしれないと考えます。



ここまで

言葉というか、話には「間」がとても大切だと感じることがあります。「空(くう)」とも似ていて、その「何もない時間」が実はとても大切だと思うんです。話す内容よりも、何も話さない時間が・・。

言葉が刃になることは以前の記事でも何度か書いたことがあります。何も言わなくてもただそこにいること、貴方のことは思っていますよという気持ちをむけることは言葉よりも多くの安心感を与えることはあると思います。

その立場に立った人でないとどんな言葉が傷つき、どの言葉が傷つかないかは正確にはわかるはずもなく、また感じ方も人によっても違いますし、とても難しいと感じます。

ただ、自分のことを思ってくれる人が居るという安心感は言葉以上に傷を癒し助けるものだとも思います。

樋野先生は、多くの患者さんに接しそれを感じ取って、この章で患者の周囲の人のとるべき姿を示唆してくださったのではないかと思います。

なぜ病気になったのか・・なぜ事故に遭遇してしまったのか・・なぜこんなことが起こったのか・・答えはだせないことが多くて、たとえ答えがあったとしてもそれは「変えられない過去」に起因するわけで、未来にはむいていません。過去は変えられないのですから、ただ耐えなければいけない孤独で辛く苦しい「今の時」を、ただ悲しみに打ちひしがれている誰かのそばでじっとその空間を共にすることは、言葉を発する以上に意味があり、そして未来を共に作るように感じます。

人は良い時ばかりではありません。どんな人でも大なり小なり苦しい時を経験すると思います。そんな時に、周りにその思いの欠片でも共有してくれる誰かが居て欲しいなと思うのは皆同じだと思います。
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