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保険適用について

私が事故に遭った2008年、私の周りでこの病気を認知している人はいなかった。
誰からの理解も得られず病院もたらい回しにされて、辛いのに辛いと言う事も憚られて耐えるしかなかった。
もう耐えられない、激やせして体は悲鳴を上げているのにそれでも私のわがままだとされた。それならば殻にこもるしかないと言葉数少なくなりベッドの上でただ横になるしかやり過ごすことができなくなっていた。


当時ネットの世界では感情を徐に吐露されている方がいた。
そして辛さのあまり命を落とされた方がいることも知った。
自分の周りは認知度がゼロだったが知る人ぞ知る恐ろしい病として認知されつつあるということも知った。
周りに情報がなかった私は自分がどん底まで落ちて、あっこにその情報を掴んでもらい遠くにある一筋の光にすがるように治療に辿り着くことができた。
そして、この病気に理解がある先生に会うことができてブラッドパッチをしてもらった。辛い時期のことが走馬灯のように頭をめぐり治療後泣き崩れた。
こんな病はないと多くの医師が言っていた時期に信念を持って治療にあたってくれた数少ない医師のおかげで今の私がある。


過去の患者さんの悲しみや辛さの欠片に包まれるように、やっと私が悪かったのではなかったと自分を擁護することができた。
病気だから何もできなくなったのだと、横になることしかできなくなったのも仕方なかったのだと思うことができた。


私はブラッドパッチのおかげで治った。あの治療がなければ今生きている自信もない。


早期発見、早期治療の大切さを痛感している。
何年も苦しんでやっと治療にたどり着いた方は現在でも完治に至らず10年以上横になる生活を続けている方もいる。
治療が遅れることがどれほど大きなダメージを体に与えるか私は周りを見て知った。
その現状は時代が追いついていなかったという言葉でとても片付けることはできない。


そしてやっと・・・今がある。


保険適用は本当に良かったと思う。
私が一番良かったと思うのは医師が知る病となるということだ。
真実を知る数少ない信念を持った医師達が少数派を多数派に変えていってくれた。
患者たちの悲しみを知り、怒りを信念に変えて10年以上闘ってくれたことに、ただただ感謝している。


多忙な今の私を見て、誰もこの病気で寝たきりだったことを想像できる人はいない。
治してくださった先生方や、この病気の真実を訴え続けてくださった過去の患者さんたちのおかげで今があることを忘れてはいけないとずっと思っている。
また保険適用になったからといって今もなお苦しい生活を余儀なくされている方々がいるということを常に心にとどめておかないといけないと私は思っている。



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子宮頸がんワクチンについて

私の県で子宮頸がんワクチンの無料接種補助が始まる前のことです。

ある権威のある方がこの恐ろしいワクチンは絶対打ってはいけないと講演をされていた映像を見たことがきっかけで自分なりに調べてみました。
その講演の内容はあまりにも恐ろしい内容だったのでここでは述べませんがたまたまその映像をみてこのワクチンの副作用の情報を集めてみました。

日本で接種が始まってそれほど時間が経ってない頃でしたが諸外国ではそのワクチンを接種して体の痙攣が止まらない、頭痛、吐き気、認知症に似た症状、半寝たきり状態といった症状が出ている若い少女の映像が多くアップされていました。
日本ではどうなのかと心配になり調べてみると、接種開始から間がなかったので件数はそれほどでもありませんでしたがそれでも数件の副作用が報告されていました。
日本としてどの予防接種ワクチンにもある副作用レベルに捉えていた時期でした。

ただ、諸外国の映像を見たあとだったので恐ろしくてとても私は自分の娘に打たせる気になりませんでした。
それから一年も経たずに日本でも被害者の会ができ、お母様たちが訴えている姿がテレビでも取り上げられ、諸外国で起こっていることが日本でも起こり始めたんだ、日本のワクチンもあの外国のワクチンと同じものなのだと、たまたま見た講演の内容はある意味正しかったのだと非常にショックをうけました。

被害者の会ができて、声高に親御さんたちが訴えている一方で、子宮頸がんワクチンの接種は進められ私の県でも無料接種券が届くようになりました。
おそらく多くの県でもそういう流れだったと思います。
瞬時にストップすることをせず、検証を後回しにして被害者の声を握りつぶしての接種推奨でした。
そして、被害はほとんどの方で出ておらず、効果はあるものだし副作用が出たのは心の問題であると一番聞きたくない言葉を聞くことになりました。

被害者は本当に辛い日々を過ごされたと思います。
13歳、14歳で接種して一番青春を謳歌できる時期にとてつもない苦しみに突き落とされて、もしこれが自分の子供だったらと思うとたまらない気持ちになります。
被害者への補償はしっかりおこなっていただきたいと願います。

私は偶然に映像をみて知っていただけです。
見ていなければ良いものだと信じ何のためらいもなく接種させていましたしその結果も定かではありません。

交通事故に遭って、周りも自分も脳脊髄液減少症という病気があることを知らなかったがゆえ、理解されず苦しみ彷徨い・・・。
知らないというより知らせない力も働いており、病院を探してたどり着かなければ治療のスタートに立てない現実もありました。
患者の苦しみは自分でなければ他人の苦しみだから、わかって欲しいけれどわかりようもないし、わからなければ何も言わなければいいのにそんなものはないと断言する方までいます。
仮病、怠け病、心の問題にしてしまう。
それは患者にとって本当に本当に辛いことです。

時に、人は自分に関係がないことは無関心になり、少数の声は制度を変えるには小さすぎて握りつぶされてしまうことがあります。
そういう時、利権を抜きに声無き声を拾い届ける政治家さんがいてくれれば日本はもっともっと良い国になると思います。

時は流れても

髄液漏れ:発症認定せず「年金支給」地裁判決を逆転棄却
毎日新聞 2015年07月24日 21時07分


 脳脊髄(せきずい)液減少症の発症が労災事故によるものかが争われた訴訟の控訴審判決が24日、大阪高裁であった。江口とし子裁判長は発症自体を「証明されたとはいえない」と判断。事故との因果関係を認めて障害補償年金の支給決定(障害等級2級)を国に命じた1審・和歌山地裁判決を取り消し、原告側の訴えを棄却した。

 訴えていたのは、和歌山県内の元配管工の男性(44)。2002年9月、和歌山市内の工事現場で作業中、約33メートルの高さから落下した電線で負傷した。徐々に手足が動かなくなったとし、病院で「外傷性の脳脊髄液減少症に伴う四肢まひ」と診断されたが、和歌山労働基準監督署は06年、同症とせず、四肢まひも認めず障害等級12級と認定。男性は認定を見直すよう提訴した。

 1審判決は事故による発症とそれに伴う四肢まひを認めたが、江口裁判長は1審同様に国の研究班が示した基準に沿って症状を検討した結果、「発症が強く疑われるが、確定とまではいえない」と指摘。四肢まひになったとの男性の主張についても「客観的な所見はない」として認めなかった。【三上健太郎】


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いつまでこんな理不尽な判決が続くことかと心から思う。

先日、長いあいだ裁判で闘っていた女性から電話を頂いた。

「世の中の嫌な部分をたくさん見せつけられ裁判も終わりに近づいている。」と・・・。

私が彼女と知り合ってから長い月日が経過している。
私より前の事故だったので相当長い年月苦しんできたと思う。

頑張って闘っている途中で彼女とお会いした時は
自分の判決が今後の人のためになるならとの言葉も耳にした。

今回の判決も彼女の言葉も私の中にただただ虚しさを残した。

実際経験した人、患者さんを近くで見た人したわからないのか?
確かにあの苦しみは経験者にしかわからない。
他人の苦しみを変わって経験することは誰にもできないから・・・。

そんな私も治って時が経ち想いを馳せることしかできなくなっている。
時には忙しさに想いを馳せることも無くなっている時もある。

時間は流れて、認知度は少しは上がってきていても
患者さんの置かれた状況は私が苦しんでいたあの頃とあまり変わっていない。

最近はあきちゃん先生とあっこに書き続けてもらっているこのブログの読者になっていたけど
久々、自分への反省と判決文を読んだ虚しさを綴ってみようと思った。

あきちゃん先生、いつもありがとうございます。


明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

さて・・・
2008年に事故に遭って病気を患い
2009年に治療をスタートし
2010年は1週間に3日~4日病院や治療院に通って
そして多くの方のお力により元気にさせていただいて
2011年より本格的に仕事を始め
2012年、2013年、2014年ただ走り続け
2015年充実した気持ちで新年を迎えることができました。

振り返ると今が信じられない奇跡で成り立っていると感じます。

だからこそ一瞬一瞬を大切に
感謝の気持ちを持って過ごしていかなくてはいけないと
新年を迎え改めて思っています。

皆様にとり幸多き一年となりますように
今年も宜しくお願いします。



ゴールド免許

免許の更新に行ってまいりました。
前回の更新から引き続き無事故無違反。
ゴールド免許なので5年ぶりの更新となりました。

前回は免許の更新期限が切れるのでそれを目標に
体力的にはとても辛かったのだけれど
何とか東京から高知に帰ってきて免許更新しました。

本当にきつくてギリギリで・・・
優良講習30分が大丈夫かなと心配しながらの更新でした。
終わってみるとフラフラで気分が悪くて
とてもしんどかったことを覚えています。

あの時は一人で免許センターまで行くのが心配で、
確か母に免許センターまで送ってもらい
更新の間外で待ってもらっていました。

あれから5年・・・。
長かったような短かったような・・・。

前回、私にとって大きな挑戦だった免許更新も
今回は思い立ったように昼から家を出て
さっと済ませてきました。

できるはずのことが難しくなったり
できなくなっていたことがまたできるようになったり・・・。
この5年は病気の回復から社会復帰まで本当に色々なことがありました。

次の更新は5年後。
また無事故無違反で安全運転には十分気をつけたいと思います。

交通事故で二度とあんな苦しい思いをすることなく
また、自分の不注意で誰かに辛い思いをさせたりすることなく
ずっとゴールド免許でいられるように注意して運転しようと思います。
仕事を始めて運転する機会がとても増えたから
自戒の念をこめて・・・



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Author:あっこ&かーこ
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